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王処直墓 2007年10月25日(木)更新

王処直墓

【和:おうしょうちょくぼ
【中:Wang chu zhi mu
隋・唐・五代|建造物・遺跡・墓>王処直墓

 1995年、河北省曲陽県西燕川村付近で、唐末から後梁初めの河北地方の軍閥であった王処直(863~923)の墓が河北省文物研究所、保定市文物管理所、曲陽県文化局によって発掘された。王処直は唐末五代初めの軍閥台頭の時代、山西の李克用、河南の朱全忠の二大勢力の間にあって、河北の易州、定州、滄州を管轄する義武軍節度使として一時軍事力を保ったが、唐減亡後の後梁の龍徳元年(921)、養子の王都の謀反により幽閉され、龍徳3年(923)正月に没した。この年、後梁が滅び後唐が興ったが、その翌年、すなわち後唐の天成2年(924)に曲場に埋葬された。墓は南北を軸線に南側から墓道、甬道、東西に副室(東耳室、西軍室)をもつ前室、主室(後室)の順に配置されている。少なくとも過去2回盗堀に遭ったため、墓室は一部損傷をうけ埋葬品の多くは失われたが、墓室のほぼ全壁面が壁画と浮彫等で装飾されており、前室の天丼には星座、四周の小壁には雲鶴の装飾帯、南壁の入口左右に男侍図、北壁に水墨山水図、他に花鳥湖石、壁上方の壁龕には十三生肖浮彫4体、東耳室の東壁に水墨出水図屏風、主室の北壁に花鳥湖石の庭園図、東西壁に花鳥湖石の庭園図と散楽図浮彫、奉侍図浮彫などが残っていた。王処直墓の墓室装飾は唐の宮室墓を規範としているが、壁画の水墨山水図や着色花鳥図は唐末五代における中国絵画の一大変革期の様相を具体的に示すものであり重要な意味をもっている。また、前室には墓誌が安置されていた。唐滅亡後、時代は後梁、後唐と移ったが、墓誌には後梁と後唐の年号は用いられず、唐の最後の年号である天佑が用いられていた。 出所:「中国国宝展」

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