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金函(舎利容器)2007年11月05日(月)更新
唐・咸通12年(871)銘
鍛造
1987年法門寺塔墓基地宮後室出土
高13.5、身14.5×10.5cm、1099g
法門寺博物館蔵
銀函の中に納められていた舎利容器である。基本的な形制は、錠を含め、八重宝函と共通するが、こちらには座の部位が備わらず、文様も無いことなど、比較的簡素な作りとなる。また、素材は、これまで金製とされているものの、表面が部分的に銀色をしていることからすると、銀製鍍金あるいは銀が相当混ぜられている可能性もあろう。法門寺地宮から発見された時には、内部に舎利は納められていなかったが、身の正面に刻まれた銘文によれば、咸通12年(871)閏8月、智慧輪が、世の安泰の願いを込めて、「真身」すなわち法門寺の舎利を納置するため制作させたものであることがわかる。咸通12年8月には、九隴山の禅僧・師益という者が、会昌の廃仏(845年頃)後、行方不明になっていたらしい法門寺の舎利をその塔下から見つけ出している。本器および銀函は、この時発見された舎利を納めるために、急遽制作されたもののようである。咸通15年(874)に法門寺地宮へ舎利が奉納された際には、舎利は別の容器に納入されたが、このような経緯があって、本器も地宮に置かれたものと考えられる。ただし、当初、本器に納められていた舎利が、現在、法門寺にある4枚の舎利のうちのどれにあたるのか、明らかでない。智慧輪は、当時、長安(現在の西安市)の大興善寺にあって、仏教界の指導的な役割を果たしていた傑僧である。平安時代(794~1192年)初期の天台宗の高僧・円珍も、唐へ留学(853~858年)した折、この智憲輪の教えを受けている。出所:「唐皇帝からの贈り物」
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