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行書十札巻 2007年12月06日(木)更新

行書十札巻

【和:ぎょうしょじっさつかん
【中:Xing shu shi zha juan
宋・遼・金・元|彫刻・書画>草書文向帖巻

赴孟頫筆
紙本・彩箋墨書
(第一札)縦25.8 横57.3(第二札)縦24.9 横47.0
(第三札)縦26.5 横47.0(第四札)縦27.0 横56.3
(第五札)縦25.8 横39.8(第六札)縦27.6 横46.8
(第七札)縦24.7 横59.2(第八札)縦26.0 横61.6
(第九札)縦27.4 横74.5(第十札)縦25.6 横58.5
元・14世紀
劉靖基氏寄贈
上海博物館
 趙孟頫が石巌に宛てた九通の尺牘と、高仁卿にあてた一通の尺牘計十紙を、後に合装した横巻である。石巌は字を民瞻といい、趙孟頫とは姻戚関係にある。第五札の一紙は高仁卿にあてた尺牘である。石民瞻と高仁卿とは親戚にあたり、彼等と越趙孟頫およびその夫人管道昇は互いに往来し、数十年に亘る情宜を結んだ。日常の些事を写す十紙の尺牘で、その書式や内容等から、趙孟頫五十歳前後の一時期に書写されたと考えられている。
趙孟頫、学は子昂。松雪道人、水精宮道人、鴎波道人などと号した。南宋の宝祐二年(1254)に生まれ、元の至治二年(1322)に歿した。宋朝の皇族で、初め宋に仕えて真州司戸参軍となった。宋が滅び、数年間家郷に閑居したが、至元23年(1268)召されて、諸帝の信任を受け、官は翰林学士承旨に至り、歿後、魏国公を追封され文敏と謚された。書画を善くし、復古主義を奉じた。第一札末にある乾隆帝の題識にも、趙孟頫が出現して書格が一変したと言うように、元代のみならず、後世に与えた影響もきわめて大きい。
第一、第六、第七札には封緘の数行が遺され、第一札には「趙氏子昂」朱文方印、第七札には「趙孟頫印」朱文方印が鈴されている。伝世する趙孟頫の書跡のなかで、碑版の類は多く李邕の筆法を用いた作意の書で、ややもすると韻致に乏しいきらいはあるが、その時折の興に随って書き記す尺牘には、作者のこまやかな情趣が流露されて興味深い。「孟頫方雨中悶坐」の語句で始まる第二札は、ゆったりと流滑に筆を運び、端正な姿態で、本巻中最も秀麗さの勝る一紙であろう。これに対し、第三札はふところを広くとり、結体も寛闊である。 一方、第九、第十札に見られる表現は大きく趣を変え、主思気は萎凋し線も細めで、結構は第二札にやや近いものがある。十通の尺牘はかつて所蔵者の石民瞻が自ら装幀し、騎縫には「石氏書印」朱文方印、「生香楽意」朱文方印を鈐す。晩年、病身の石民瞻は友人の戴氏の許に起居し、臨終に際し、この巻を戴氏に贈った。明の成化二年(1466)張黼が戴氏の末裔戴昕から購入。
清代に王鴻緒が入手し、その子図炳が乾隆帝に献贈したが、内府所蔵の趙書が甚だ多いため、題識を記した後再び王家の収蔵となった。
のち潘延齢、羅天池、裴景福、伍元恵等の逓蔵を経て、それらの経緯を示す多くの鑑蔵印や跋が記されている。近年、劉靖基氏によって上海博物館に寄贈された。出所:「上海博物館展」

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