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漁荘秋霽図 2007年12月06日(木)更新

漁荘秋霽図

【和:ぎょそうしゅうせいず
【中:Yu zhuang qiu ji tu
宋・遼・金・元|彫刻・書画>漁荘秋霽図

倪瓚筆 .
紙本墨画
縦96.1 横46.9
元・至正十五年(1355)
上海博物館
 倪瓚は初め名を珽、字を元鎮といい、雲林と号した。別号に荊蛮民、幻霞生、浄名生などがある。元の大徳五年(1301)に無錫(江蘇省)の土地代々の名家に生れた。倪瓚は邸内に清閟閣、雲林堂を建て法書名画古器物を秘玩し、多くの文人たちと交友し、仕官することなく読書と詩画の生活を送ったが、至正十二年(1352)頃、家財を整理して突然出郷し、以後は困難にみちた流寓生活を送った。明の洪武七年(1374)、七十四才で初めて帰郷したが病の為攻したという。
倪瓚は道士張雨との交友で知られるように新道教の一派である全真教に帰依したが、晩年は禅にも深い関心をもったという。
非常な潔癖症で顧元慶の『雲林遺事』の「潔癖」の項をはじめ多くの逸事奇行が伝わっている。詩書画三絶といわれたが、また琴をよくし音律に通じたという。画は水墨の山水と古木竹石をよくした。倪?の山水画は壮年の頃は著色の謹細なものもあったが、次第に水墨の筒率な簡率な趣のものとなり、遂に「蕭散体」といわれる独自の画風を確立した。倪瓚が、その後の文人画家に与えた影響は多大なものがあり、明末以降は黄公望、呉鎮、王蒙とともに「元末四大家」として尊崇された。至正十五年(1355)、五十五才、出郷数年後の作である漁荘秋霽図は現存する倪瓚画の最高傑作である。図は前景の土坡の上に数樹を配し大きな江水のさきに遠山を望むという平遠の構成をもつが、その水墨の簡率な筆致は、「僕のいわゆる画なるものは、逸筆草々たるにすぎず」という倪瓚の言葉を反映するものであり、その蕭蕭とした趣は倪瓚の「蕭散体」の本質を示すものといえる。図上には、明の洪武五年(1372)七月二十日、すなわち十八年後の七十二才の時に書かれた「江城風雨歇み、筆研晩に涼を生ず」の句にはじまる倪瓚の五言律詩と識語があり、識語には本図が友人王雲浦の漁荘において戯れに写したものであることと、十八年ぶりにみた自分の作品に感慨もあらたに詩を成したことが記されている。
ちなみに本図に題賛した二週間前の七月五日に倪瓚は現存するもう一つの代表作品である容膝斎図(台北、国立故宮博物院蔵)を描いている。辺幅には明末の董其畠の「倪元鎮画漁荘秋霽図」の題と跋、宋旭、孫克弘の跋がある。また清末の方濬頤、近代の龐元済の鑑蔵印などがある。明末の王禹声、陳継儒、清末の方濬頤、龐元済の旧蔵品。出所:「上海博物館展」

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