考古用語辞典 A-Words

時代別順

旧石器時代
新石器時代
神話時代
殷・周時代
春秋戦国
秦・漢・三国
晋・南北朝
隋・唐・五代
宋・遼・金・元
明・清

分野別順

基本用語
青銅器
陶磁器
金銀・玉器
石器・ガラス
彫刻・書画
絹・衣類
建造物・遺跡・墓
歴史名城
歴史人物
研究機関
研究者
面白テーマ

春山積翠図 2007年12月07日(金)更新

春山積翠図

【和:しゅんざんせきすいず
【中:Chun shan ji cui tu
明・清|彫刻・書画>春山積翠図

戴進筆
紙本墨画
縦141.0 横53.4
明・正統十四年(1449)
上海博物館
 戴進は字を文進といい静庵と号した。洪武二十一年(1388)に銭塘(浙江省杭州)の職業画家の家に生れた。幼少より諸家の画風を学んで山水画、人物画、花卉画などあらゆる画をよくした。宣徳年間(1426~35)に宮廷の画院国画家となったが、宣宗に愛重され既に画院画家として重きをなしていた謝環らの排斥にあい帰郷したという。しかし画名は高く、明末には「浙派」の祖として尊重された。天順六年(1462)、七十五才で歿している。明の王世貞は、戴進画が北宋の郭熙、南宋の李唐、馬遠、夏珪を学んでいるものの、そのすぐれたところは戴進自身の工夫によるものであることを述べている。その画風は元時代以降の文人の画風をも学んでいると思われ、正に諸家を学んで新意ある自己の画風を創出したと推察される。そして、その多様性こそが戴進画の本質であり、また戴進が高く評価された理由と思われる。十六世紀にはいり蘇州を中心に文人の画が盛んになると、やがて文人の中より自らを「呉派」と位置づけ、当時、筆墨が粗放となった職業国家たちの画を「浙派」として包括する立場があらわれたが、戴進はその中で「浙派の祖」と定められた。しかし、戴進の生きた十五世紀は、十六世紀以後の呉派と浙派の画風ほどの際立った相違はまだなかったと思われる。すなわち浙派、呉派の言葉を用いるならば、「浙呉兼善」の画家が少なくなかったといえるのである。現存する戴進国の多様さは、それを具体的に示すものといえる。
春山積翠図は一高士が琴を持つ童子を徒えて山径をゆく姿を描いたもので、この主題は文人画家、職業画家を問わず数多く描かれてきた。図上には「正統己巳上元日、銭塘戴文進為文序契写春山積翠図」の款記と「文進」朱文方印、「静庵」朱文方印の二印がある。正統己巳すなわち正統十四年(1449)、戴進六十二才の作である。山容を交差させて遠さを表現する構成法や、樹叢の筆墨表現は南宋の馬遠、夏珪の院体画風にもとづくといえるが、例えば、中景の樹叢の表現は夏珪風に元時代の文人国家である呉鎮の筆墨法が加味されているように思われる。そして、この紙本に水墨で描かれた本図のもつ全体としての雰囲気には元時代以後の文人の趣味が反映しているように思われる。龐元済旧蔵品。出所:「上海博物館展」

関連情報

Copyright 2006 abc0120 All rights reserved.