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草書前後赤壁賦巻 2007年12月08日(土)更新

草書前後赤壁賦巻

【和:そうしょぜんごせきへきふかん
【中:Cao shu qian hou chi bi fu juan
明・清|彫刻・書画>草書前後赤壁賦巻

祝允明筆
紙本墨書
縦31.3 横1001.7
明・十六世紀
上海博物館
 明代中葉を代表する文人祝允明は、長州(江蘇省蘇州)の人。希哲と字し、生まれつき右手に指が一本多かったため枝山、枝指生などと号した。明の天順四年(1460)に生まれ、嘉靖五年(1526)に歿した。良家に生まれ、早くから文名が謳われ、唐寅・文徴明・徐禎卿と共に呉中の四才子と称された。弘治五年(1492)に挙人となったが、久しく進士に登第せず、晩年は正徳九年(1514)広東興年知県を授かり、嘉靖元年(1523)には応天通判に遷るなど、挙人のまま地方を歴任し、やがて郷里に帰った。著に『懐星堂集』などがある。
江子西山(江興国)という人物の索めに応じて、祝允明が宋の蘇軾の「前後赤壁賦」全文を、金粟山蔵経紙十七枚に書いた長巻である。紀年はなく、款記の後に「祝允明印」白文方印を鈐す。祝允明は、共に書名の高かった外祖父の徐有貞、岳父の李応禎から薫陶を受け、晋唐を学んだ初期の書は、法度を謹守した厳整なものであった。のち宋の大家の書を学び、また趙孟頫を師法とする手跡も遺されている。草書は晩年に多く、古法を踏まえた作例もあるが、当時広く喜ばれた狂草書で、あくまでも鬻技のためと目される応酬の作もあり、そのため草書に対する批評は毀誉相半ばしている。
本巻は祝允明の狂草書を代表する名品として、早くから日本でも紹介されてきた。巻頭は落ち着いた書きぶりで、次第に興に乗じて気勢を加え、放縦に筆を駆使してゆく。光滑な熟紙に疾書する用筆は遒勁で、積習の書法が渾化した晩年期の一作である。巻末に黄省曾、文徴明、文嘉、文従簡、文震亨、羅振玉、長尾甲の跋がある。出所:「上海博物館展」

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