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行書杜甫詩軸 2007年12月10日(月)更新
【和:ぎょうしょとほしじく】 |
【中:Xing shu du fu shi zhou】 |
明・清|彫刻・書画>行書杜甫詩軸
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張瑞図筆
紙本墨書
縦194.3 横60.8
明・十七世紀
上海博物館蔵
張瑞図、字は長公。二水、白亳庵主などと号し、晩に果亭山人と称した。晋江(福建省)の人。明の隆慶四年(1570)に生まれ、崇禎十四年(1642)に歿した。万暦三十五年(1607)、殿試に探花(第二席)で及第し、編集を授けられた。少詹事、礼部侍郎等を経て、天啓七年(1627)礼部尚書を加えられ入閣、枢要な地位を歴任し、建極殿大学士に至った。張瑞図は当時専権を極めていた宦官の魏忠賢のために生祠碑を手書していたが、崇禎帝が即位し魏忠賢が失脚すると、張瑞図にも累が及び、「逆案」に列入され、平民におとされた。そのため清朝になっても張書は等閑に付され、むしろ黄蘗僧によって日本に早くから舶載され、評価された。
杜甫の題玄武禅師屋壁詩を行書で揮亳し、「瑞図」の款署、「張瑞図印」白文方印および「此子宜置丘壑中」朱文方印がある。すくいあげるような横画で、転折は多く鋭角にとり、偏鋒で左右に畳みかけてゆく運筆である。各字とも横への張りがあり、その蕭散澹逸な書風から晩年の作と考えられている。明末から清初にかけては、黄道周、王鐸、倪元璐、傅山等に代表されるように、連綿の行草書に豊かな情感を盛り込んだ個性的な一派が新興したが、その中にあって、張瑞図は容易にその書の淵源を想起させない、ひときわ奇異で清新な書風を拓いた。邢侗、米万鐘、董其昌と書名をひとしくし、あわせて晩明四大家と並称されている。出所:「上海博物館展」
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