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黄山十九景図冊(渇石居/第四図) 2007年12月11日(火)更新
【和:こうざんじゅうきゅうけいずさつ】 |
【中:Huang shan shi jing tu ce】 |
明・清|彫刻・書画>黄山十九景図冊(渇石居/第四図)
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梅清筆
紙本著色
(第一、六、七、九、十、十六、十九図)
紙本塁回
(第二、三、四、丘、八、十一、十二、
十三、十四、十五、十七、十八図)
縦33.9 横44.1
(第一、四、十一、十二、十三図)
縦33.9 横22.1
(第二、三、五、六、七、八、九、十、
十四、十五、十六、十七、十八、十九図)
清・康熙三十三年(1694)
上海博物館蔵
梅清は字を淵公、遠公といい、瞿山、雪廬などと号した。宣城(安徽省)の名門の家に明の天啓三年(1623)に生まれた。清の順治十一年(1654)の挙人となるが、のち仕官を断念して処士として生活し、康熙二十六年(1697)に七十五才で歿した。詩文書画をよくし、原済(石涛)をはじめ多くの文人と交友した。黄山を愛し黄山の図を数多く描いたことで知られ、弟の梅庚とともに明末清初の個性派を代表する画家の一人である。
黄山十九景図冊は梅清最晩年の七十二才の作。九龍潭(第一図)にはじまり鳴弦泉(第二図)、鸚鵡展翅(第三図)、渇石居(第四図)、蓮花峰(第五図)、五老峰(第六図)、松谷(第七図)、楝丹台(第八図)、虎頭嵒(第九図)、獅子林(第十図)、鋪海園(第十一図)、西海(第十二図)、湯池(第十三図)、蒲団松(第十四図)、浮丘三峰(第十五図)、鶴益松(第十六図)、百歩一雲梯(第十七図)、雲門双峰(第十八図)、五供峰(第十九図)に至る黄山の奇勝を繊細な筆致と微妙な水墨と色彩によりつぎつぎと巧みに写している。聳えたつ山峰、大岩、樹木などのすべての物象は揺れ動くようであり、その表現は正に奇想と幻想にみちたもので梅清の真骨項を示すものといえる。出所:「上海博物館展」
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