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西安何家村出土唐代金銀器 2008年01月05日(土)更新
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隋・唐・五代|>西安何家村出土唐代金銀器
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3世紀
1970年,西安南郊の何家村で唐代の窖蔵が一個所発見され,なかから二つの大きな甕と一つの銀壺が出たが,中に金銀器,玉器,宝石器,金石の飾り,各種の銭貨,薬品など1000余点が蔵されていた。うちに,金銀器200余点があり,これは中国における考古学の重大発見であった。
これらの金銀器は主に鍛造や鋳造の方法を用いてつくられたものである。また,切削,研磨,鎔接,鋲止,鍍金,たがね彫りなどの技法も用いている。鎔接の一例をとって言えば,大鎔接,小鎔接,二次鎔接などの方法があった。とりわけ盤,盒,碗などの器物にははっきりした螺旋文がついており,同心円に似て,目がこまかな点からみると,轆轤によって切削加工したことを立証するものである。
これらの文物のなかには,一部の外国貨幣,たとえばピザンチンのヘラクリウス(610~641年)金貨,ペルシャのホスローニ世(590~627年)銀貨,日本の元明天皇時代の708年に鋳造された「和同開珎」銀貨などがあった。とりわけ,陳列された獣首瑪瑙杯は西方工芸の特色をおびており,透彫飛鳥葡萄文銀薫球は日本の正倉院所蔵の唐より伝った銀の香炉と基本的に同じものである。これらの文物はいずれも中国と外国との友好的な往来の歴史的な証拠でもあり,また,中日両国人民の友好的な往来が古くからあったことを物語るものである。
窖蔵の発見された地点は,唐の長安城の興化坊の横街の南に位置している。唐代の韋述の『両京新記』の興化坊の条に,「西門の北,いま邠王の守礼宅あり」,その宅の南に街をへだてて「邠王府あり」と記載されている。これらの金銀器と宝玉と珍しい飾りものは邠王府の遺物であるかもしれない。出所:「シルクロード文物展」
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