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居延漢代蜂燧遣址出土文物 2008年01月08日(火)更新
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秦・漢・三国|>居延漢代蜂燧遣址出土文物
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紀元前206~後220年
甘粛省の北部の額済納(エチナ)河は居延沢に注ぐので, この地区を居延ともよぶ。前漢の武帝は,河西走廊の安全と中国と西域諸国との円滑な交通を確保するため,ここに城塞や烽燧を建てた。そこに駐屯する兵士は戦時は敵を防ぎ,平時は生産にたずさわった。気候が乾燥しているので,多くの遺跡,遺物は今日まで保存されてきた。甘粛省の文物工作者の基礎的な調査の結果,張掖郡の居延,肩水の両都尉が管轄する関所,駅,堡塁や烽燧の配置や規模について,その概略が分るようになった。漢代の甲渠候官(現在の破城子),甲渠第四燧(現在の保都格),肩水の金関(現在の金塔天倉)などの遺址を発掘した結果, 2万枚ちかくの簡牘を発見した。このように数量が多いのは空前のことである。その年代は,上は元朔元年(紀元前128年)から下は建武8年(後32年)におよび,うちに,昭,宣,元,成,新の王莽,光武などの各帝の時期のものが多い。その内容には,古籍,暦書,詔書,律令,屯戍文書などがある。遺物には軍用品,生産や生活用具,植物の種子などがある。これらの発見によって,漢代における屯戍拠点の歴史の真実の姿を比較的に正しく理解することができるようになった。これは西北の歴史や地理を研究するうえで重要な資料である。出所:「シルクロード文物展」
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