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吐魯番(トゥルファン)出土唐代絹織物・絹画 2008年01月15日(火)更新

吐魯番(トゥルファン)出土唐代絹織物・絹画

【和:】
【中:
隋・唐・五代|>吐魯番(トゥルファン)出土唐代絹織物・絹画

618~907年
 唐朝は中国封建社会の興隆期で,中国と外国との間の貿易往来が非常に頻繁であった。当時における「シルタロード」は,新疆の塔里本(タリム)盆地の南北の縁沿いの従来の二道があったほか,また,天山北路に沿った新しい路が切り開かれた。その路は西州(現在のトゥルファン)から北に向かい北庭都護府すなわち現在の吉木薩爾(ジムサール)を経由して弓月城すなわち現在の伊寧附近を通り,砕葉に至り, もしくは亀茲すなわち現在の庫車(クチャ)から北に向かって弓月城に行ってから砕葉に達し,そこから西アジアや欧洲などにゆく道である。
吐魯番の阿斯塔那や吟拉和卓の墓出土の唐代の絹は,その品種も多様で,文様も美しい。これは当時の絹織物工芸が新しい水準に達していたことを物語るものである。錦織りの文様については,経糸で文様を織るという漢錦の伝統をひきつづき保っているほか,その当時もっとも流行していたのは,西アジアの特徴を備えた連珠鳥獣文の綾地緯錦であった。そのうちあるものは,中国の織工が特に外国へ輸出するために生産したものであった。この時代の印染(印花)技術もいちだんと発展をとげ,従来あった絞纈や葛纈の技法のほかに, アルカリ剤をつかった印花
法や文様を透かし彫りした型紙を用いる印花法もあらわれるようになった。
今日までに伝わっている唐代の絹画は,その数はきわめて少ない。ところが,吐魯番の阿斯塔那や吟拉和卓の墓からそれがよく発見されるのである。これらの絹画には大体において二つの内容がある。その一つは,地主階級の世俗生活の様子をあらわしたもので,たとえば舞伎図,仕女囲棋図,牧馬図などがある。描線はのびのびとして,硬い線とやわらかい線をよくつかい分け,彩色のほどこし方も適度で,その色もあざやかであり,唐代絵画の逸品の名に恥じないものである。もう一種のものは,神話や伝説のなかに出てくる「伏義女媧」を描いた絹画である。中
国古代に三皇伝説があるが,伏義,女媧というのはその三皇のなかの二皇に属し,伏義は始めて八卦をつくり,女?は石でもって天の欠けたところを補ない,人類や万物を創造したと伝えられている。伏義女?を描いた絹画には,一般に上半身は人間,下半身は蛇の形をした一男一女を描き,上半身は互に抱擁し,下半身の尾部は交っていて,男は手に曲尺を持ち,女は手にコンパスを持っており, うえには太陽, したには月,周囲には星座が描かれている。伏義,女媧が宇宙を創造している情景をあらわしたものである。出所:「シルクロード文物展」

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