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秦漢時代(四川)  2008年03月17(月)更新

秦漢時代(四川)

【和:】しんかんじだい
【中:】si chuan shi dai
秦・漢・三国|>秦漢時代(四川)

  戦同時代の紀元前316年、蜀は奏の恵文王によって滅ぼされる。独特な地域色を有していた巴蜀文化も次第に消滅して、中原からの斉一的な文化に融合していく。そうした中にありながらも、西南中国の核として四川地域は特果なる光彩を放っていたのである。
征服した秦は蜀の開発に乗り出す。昭襄王の時代(在位前306~前251年)に蜀郡守であった李冰は、眠江の治水に乗り出し「都江堰」という灌漑施設を生成させる。言うなれば四川版「信玄堤」である.都江堰の完成によって、成都平原(綿陽平原)の水利灌漑が整い、現在に至るまで「大府の地」「沃野千里」「都広之野」と呼ばれる大穀倉地帯を作り上げることになる。戦国の覇者となった秦はこうした四川地域での生産力を足掛かりとして、全国制覇を成し遂げたといっても良いであろう。
漢王朝を開いた劉邦は、秦討伐から項羽との覇権争いと、その後半生は戦いに明け暮れる日々を過ごした。そうした劉邦の生涯には、多く部下たちの協力と援助があったことは『史記』に詳しい。秦討伐時、秦都に最初に到達した劉邦であったが、項羽たちの策略によって巴蜀地方を含んだ漢中地域に封ぜられる。中原からの道のりは断崖絶壁の崖に横杭を打って木道を敷いた桟道を通らねばならず、蜀の地は中原からみれば、陸の孤島であった。しかしながら視点を転じれば、この地において項羽征伐までの数カ月の期間を十分に兵力を養い貯えることができたのであった。 
漢代の政策は、秦の郡県制を基盤として、恩功によって封土が分け与えられる「封建」を実施した。「郡国側」という。こうした政策によって、中央から官僚が派遣されたり、家族などで強制移住させられたものもいた。そうした漢人が残した足跡が、葬送儀礼を示す墓制、駅伝側の遺構や封泥(印鑑)などの考古学資本によって伺うことができる。
画像磚は、四川における漢代を代表する考古学資料である。画像磚は、灰色の磚(レンガ)を積み上げて作られた磚室という墓の壁にはめ込まれている。画像磚には具体的、写実的な描写によって神話伝説、日常風景、儀礼風景などがいかんなく描かれており、その種類は70~80におよぶ.画像磚のある磚室墓に埋葬されたひとびとは、特定のひとびとであり、中原から派遣された漢人官僚や商売で財をなした「四川人」であった。中央集権政権が高まるにつれて、権力が増した派遣官吏や商人たちが、その権勢ぶりを民衆に見せびらかす「最後の舞台」であったといえよう。また、葬式を執り行った縁者たちは、画像に表現された中原の漢人生活や豪奢な生活環境、神話伝説に含まれた倫理観や道徳観を死者に「あの世」まで持ち込んでもらおうとしたのだろう。
秦漢時代の四川地域の産業は国家体制の下で発達し、特に漆器や織物品は世に名を広めた。成都と広漢には官営工房(蜀郡西工・広漢工官)が置かれ、そこで製作された漆器は、湖南省馬王堆漢墓や、遠く朝鮮半島の楽浪漢基で出土している。海を渡って四川製品は日本にまで伝わった。奈良の正令院の収蔵品には四川産の織物品がみられるのである。
さらに四川を含む西南地域は、西の世界への玄関口として関心を集める。西のローマ帝国に連なる交通路「シルクロード」の開発であった。われわれがすぐさま思い浮かべるシルクロードは砂漠や草原を通るもので、距離的には短いものの常に騎馬民族などと相対しなければならず、略奪や動乱に巻き込まれる可能性が非常に大きい危険を伴う交通路でもあった。そうした中で、都長安から四川を通じて、雲南、インド、アフガニスタンヘと続く道は比較的安全で魅力的なもので、武帝をはじめとして代々の皇帝によって開発が進められた。この道は「西南シルクロード」と呼ばれている。四川から雲南へのルートは東西二路があり、東は五尺道(もしくは(棘+人)道)、西は青衣道と呼ばれた。漢代の大歴史書『史記』にはすでに西南シルクロードを通じた民間交易が盛んであった様子が記述されている。蜀の民の中には西の地域の筰の馬、(棘+人)の奴婢、髦の牛、特産の枸醤(枸の実で作った味噌)などを売買して富を得た者もいた。西城に派遣された張騫は武帝ヘの報告のなかで、身毒国(インド)には蜀の商人市が立てられ、四川南部(邛)の竹の杖などの製品や布織物が大夏国(バクトリア、現在のタシュケント付近)にまで広まっていたことを述べている。
『史記』西南夷列伝ではこの時代の地理風俗が述べられ、首長クラスの国々が多数集まっていたことや、農耕をしていた地域と遊牧移住していた地域に分かれ、多くの民族が生活を常んでいたことが記述されている。また、漢代の四川地域の生々しい暮らしぶりを知るには、『僮約』という文献資料がある。この資料は漢代の奴婢の生活ぶりをいかんなく表したものである。四川地域の山間部に棲むひとびとが農閑期に都会に降りてきて、奴婢として農作業や家の小間使いをしていたことは、いくつかの文献で知られるところである。
漢代という時代は、中央集権の確立とともにつれて、官吏や豪族たちと民衆たちとの身分や富裕の格差が大きく広がっていった時代であったのである。出所:『中国四川省古代文物展』-三国志のふるさと、遥かなる大地の遺宝2000

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