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銅製鍍金舎利函2008年04月30(水)更新

銅製鍍金舎利函

【和:どうせいときんしゃりかん
【中:Tong zhi du jin she li han
隋・唐・五代|青銅器>銅製鍍金舎利函

隋 大業2年(606)銘 
高さ20.1cm
 方形の函身に伏斗形の蓋が付いた銅製の仏舎利容器で、総体は鍍金を施した上に毛彫り風の流麗な刻線により護法神・供養菩薩・供養天人・鬼神・鳳風・双鳥などの図像や巻草文(半パルメット波状唐草文)・巻雲文(雲気文)・連珠文・鋸歯文などの文様を隙間なく表現しており、仏舎利を安置するのにはふさわしい荘厳性に富んだものとなっている(中でも蓋項中央の花弁文帯で縁どられた円形区画内に表された護法神は、この銅函の中心的な図像として重要であるのみならず、その図像自体も注目される。右手に三叉戟を持ち、邪鬼を踏むというその形式は、西安大雁塔にある唐永微4年(653)銘の「大唐三蔵聖教序碑」および「同序記碑」碑冠下に浮彫りされた神将像などに先行する最初期の作例であるが、鎧甲(よろい)を着けず上半身が裸体である点や両肩に羽翼が見られる点などかなり特異な要素も見られ、供養天人の容貌などとともに西方的な要素を感じさせる。そしてなにより単独で表されているという点は、当時それが護法神の中でも特殊な存在と見なされていたことを示唆している。
こうした図像などとともに注目されるのが、函身四周に線刻されている以下の銘文である。「大惰仁寿三年五月廿九/日静志寺与四部衆修理/廃塔掘得石函奉合利有/四函銘云大代興安二年/十一月五日即建大塔更/作真金宝盌瑠璃等瓶上/下累畳表裏七重至大業/二年十月八日内於殿内」。銘文からは、この鍍金銅函が北魏時代の廃塔に埋納されていた仏舎利を安置する容器の一つとして、隋の仁寿3年(603)から大業2年(606)の間に製作され、惰大業2年に築造された静志寺大塔(北宋静志寺塔の前身)に舎利とともに納置されたということがわかる。舎利容器は鍍金銅函のほかにさらに金製の碗や琉璃瓶など、全部で7重をなしていたというが、その最外容器となったのが同じく北宋静志寺塔塔基から出上した隋大業2年銘の石函である(石函蓋上にはさらに大業2年銘の「志」が置かれた)。なお惰仁寿3年に掘り出されたという北魏興安2年(453)銘の石函も北宋静志寺塔塔基から出土している。
ところで函蓋裏には墨書銘の痕跡があり、「開元寺僧」「舎利」「四月八日」「大中」などの文字が確認できる。その内の「大中」は、静志寺塔の舎利が唐の大中12年(858)に重葬されていることから(「唐定州許志寺重葬真身記」など参照)、唐の年号を指すものと思われ、墨書銘はその重葬に際して銅函が再度掘り出された時に書かれたものであろう。隋、唐、五代、北宋と静志寺に受け継がれてきたこの鍍金銅函は、まさに仏舎利信仰の象徴といえる。出所:『地下宮殿の遺宝中国河北省定州北宋塔基出土文物展』

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