時代別順
分野別順
|
鉄製塔2008年05月01(木)更新
五代 乾徳3年(965)銘
高さ16.7cm
呉越国王銭弘俶がインドのアショーカ(阿育)王の八万四千塔造立の故事にならって造立したものと伝える小塔の遺品である。鉄製、単層の宝篋印塔形の宝塔で、坐仏を並べた台座から、本生譚を表す塔身とその頂部四隅に造り出された蕉葉形の方立までが鉄製、4層の相輸だけは非常に軽い石製である。
塔身4面にはそれぞれアーチ形の区画がもうけられ、その枠内にジャータカ(本生譚)図が表されている。それらは不鮮明であり、どういった場面であるのかはっきり特定できない(尸毘王割肉飼鷹救鵠変・薩埵太子捨身飼虎変・月光王損捨宝首変・善目王眼施変のほか、諸説がある)。その上部には逆台形の吹返しに、獅噛文装飾を中心にすえた唐草文帯を配し、また、塔身頂部の方立はそれぞれ外側各2面を2段に分け、一つの方立に四つの場面、合計で16の場面が表されているが、どのような場面であるかはっきりしない。底面には陽鋳された銘文があり、「呉越国王俶敬造宝塔八万四千所永充供養時乙丑歳記」となっており、この銘文に見られる「乙丑」の干支から、この鉄塔の鋳造年が乾徳3年(965)であることがわかる。銭弘俶八万四千塔には、銅と鉄製の塔、さらに年紀も顕徳2年(955)にあたる「乙卯」、乾徳3年(965)にあたる「乙丑」などが知られているが、この鉄塔もその一つであることがわかる。これと同様の形状をなす鉄塔が北宋時代の浙江省温州市喩珈寺白象塔から、また同様の形状、銘文を持つ鉄塔が浙江省金華市にある北宋時代の方仏塔塔基から出土している。出所:『地下宮殿の遺宝中国河北省定州北宋塔基出土文物展』
|
|
|
Copyright 2006 abc0120 All rights reserved.