考古用語辞典 A-Words

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青玉鳧様小硯     2008年06月21日(土)更新

青玉鳧様小硯
【和:せいぎょくふようしょうけん
【中:Qing yu fu xiang xiao yan
明・清|彫刻・書画>青玉鳧様小硯

清中期 
高17cm 長9.1cm 幅6.9cm
三希堂御物
 「三希堂」はもともと「温室」と呼ばれた皇帝の小書斎であった。乾隆帝は武功いちじるしいだけでなく、詩文や書画に精通、文玩に対する好尚が深く、とりわけ、晋代王義之の「快雪時晴帖」、王献之の「中秋帖」、さらに王珣の「伯遠帖」を得たことを大いに喜び、「みな稀世の珍」としてこの温室内に収め、書斎の名も「三希堂」と改めた。「三希堂」は北側の次の間と主室を合わせても約一二平方メートル、南の窓に面している主室は約五平方メートルにしか過ぎない。温室効果をよくするために一段と天丼を低く、床には軽快で明るい藍白二色の幾何図形のタイルを敷きつめ、南側は間口いっぱいの一枚のガラス窓で、ポーチに面しており、視覚空間は広く、室内には光が充分に射しこみ、そのために狭苦しいという感じがしない。
また壁画を活用して、「小中に大を見」「近中に遠を望む」といった視覚延長の効果もあげている。たとえば、次の間の入口のつきあたり、西壁は天丼から床まで壁面いっぱいに壁画が描かれている。この壁画は突き出しの小部屋を描き、床にタイルを敷き、両側面に飾り窓があり、中央に大きな丸窓がある。さらに丸窓からは庭園で花を賞でる人物二十人が望まれるという構図である。画中のタイル、飾り窓、天丼、壁紙に至るまで、すべて室内の実物と同じという趣向で、画面と周囲は一体化される。この壁画「人物観花図」は郎世寧、金廷標の合作である。また北壁も壁面いっぱいの山水画で、画中の山の緑と水の青さは雄大な迫力をこめて、この小さな部屋を大自然の無限の空間に包みこんでししまう。
この次の間の間仕切り格子戸を開けると、明るい大窓に面した、間口、奥行ともにニメートルほどの部屋が「三希堂」の主室である。窓際半分が少し高く坐炕(オンドル)になっており、その東寄りに、宮廷を象徴する黄地に雲幅紋の絹地の広い座敷布団と背や肘をもたせかけるクッションが一組、この脇息の上に乾隆帝御題の「三希堂」の横額と「懐抱観古今、深心託豪素」の対聯が掛かっている。紫檀の坐卓と西の壁際の紫檀の小机、窓際の棚には、硯、筆、筆筒、水注等の文具と青玉、白玉、瑪瑙等貴玉の清玩が置かれ、壁面には華麗な釉彩壁瓶が掛けられている。いずれも文玩の逸品である。これらの器物の配置はほぼ乾隆帝当時のままで、乾隆帝は四〇数年にわたって、冬になるとこの小室で「三希」をひろげ観賞し、詩を書きつけていた。西側の方琮の山水画は、この五平方メートルの小室を大自然の中へと誘っている。坐炕の下手東側には、「三希堂法帖」を収めた一二個の紅木の箱が並んでいる。入口の格子戸は楠に彫刻をしたもので、この扉の上の欄間には、「三希堂記」が東西方向に長くかかっている。
「三希堂記」の記述から、乾隆帝が「三希堂」と命名したのは、世に稀な晋代の法書名蹟三点を保存したというほかに、「希賢、希聖、希天」、つまり、賢者たるを望み、聖人たるを望み、天人たるを望む、という深い意味を込めていたことが読み取れる。出所:『北京博物院・清朝宮廷文化展』

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