考古用語辞典 A-Words

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乾隆御筆「三希堂記」横坡(複製)     2008年06月21日(土)更新

乾隆御筆「三希堂記」横坡(複製)
【和:けんりゅうおふで
【中:Qian long yu bi
明・清|彫刻・書画>乾隆御筆「三希堂記」横坡(複製)

清 
長212cm 幅23cm
三希堂御物
「三希堂記」は次のように書いてある。
内府秘笈王羲之快雪帖、王献之中秋帖、近又得王珣伯遠時、皆希世之珍也。囚就養心殿温室易其名曰三希堂以蔵之。夫人生千載之下而考古論世於千載之上、嘉言善行之触於目而會於心者、未嘗不慨然増慕、思與其人揖譲進退於其間。羲之清風峻節、固足尚、即献之亦右軍之令子也。而王珣史稱其整頽振靡、以廉恥自許。彼三人者、同族同時、為江左風流冠冕、今其墨蹟経数千百年治乱興衰存亡離合之餘、適然蒼萃於一堂、雖豊城之剣、合浦之珠、無以踰此、子墨有霊、能不暢然蹈忭僻而愉快也耶。然吾之以三希名堂者、亦非盡為蔵帖也。昔聞之蔡先生名共堂曰二希。其言曰、士希賢、賢希聖、聖希天。或者謂余不敢希天、余之意非若是也。嘗慕希文、希元之為人、故曰二希、余嘗為之記矣。伹先生所云非不敢希天之意、則引而未発、予惟周子所云固一貫之道、夫人之所當勉者也。若必士且希賢、既賢而後希聖、己聖而後希天、則是教人自畫、終無可至聖賢之時也。孟子曰、盡其心者知其性也、知其性則知天矣。人人有盡心知性之責、則人人有希聖希天之道、此或先生所云非不敢希天之意乎。希希文希元而命之曰二希、
古人托興名物以識弗忘之意也。則吾今日之名此堂、謂之為希賢希聖希大之意可、慕聞之先生之二希而欲希聞之之希亦可即謂之王氏之帖誠三希也亦可。若夫王氏之書法、吾又何能贊一辞哉。 
「三希堂記」の記述から、乾隆帝が「三希堂」と命名したのは、世に稀な晋代の法書名蹟三点を保存したというほかに、「希賢、希聖、希天」、つまり、賢者たるを望み、聖人たるを望み、天人たるを望む、という深い意味を込めていたことが読み取れる。出所:『北京博物院・清朝宮廷文化展』

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