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螺鈿花鳥文八花鏡(1面) 2008年07月08日(火)更新
【和:「らでんかちょうもんはっかきょう】 |
【中:「Luo tian hua niao wen ba hua jing】 |
隋・唐・五代|青銅器>螺鈿花鳥文八花鏡(1面)
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青銅、螺鈿
径24.5
陝西省西安理工大学李(イ+垂)墓出土
店時代・8世紀
陝西省考古研究所
中国における銅鏡は、古く殷時代頃から作例があり、以後、歴代にわたっておびただしい数の製品が制作され、巷間に広まっていった。時代によって大きさや意匠はさまざまで、唐時代には、この鏡のように、螺鈿という斬新な技法によってきらびやかな装飾を施したものもかなり制作された。螺鈿は、夜光貝やアワビ貝などの殻を削って文様の形に細かく切り、漆地や木地の表面にはり付けたり、嵌め込んだりして研ぎ出した装飾技法である。貝の放つえもいわれぬ艶麗な輝きが時代の気風にあったものか、唐時代にはことに好まれたようである。日本へは、遣唐使の活躍した奈良時代に伝来し、工芸品の主要な装飾技法の1つとして普及していった。この鏡では、八花形の背面に、花鳥の可隣な姿を螺鈿によって上手に表現するほか、地の部分にも、ラピスラズリやトルコ石などの細片とともに貝片を散らし、ひときわ華やかな趣を演出している。この鏡が出土した墓の主・李(イ+垂)は、唐の第2代皇帝・太宗(在位626-649年)の第6代の子孫で、10代はじめ頃に亡くなったと推定されている。出所:『遣唐使と唐の美術』
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