考古用語辞典 A-Words

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「慈禧皇太后之宝」印   2008年07月25日(金)更新

「慈禧皇太后之宝」印
【和:「じきこうたいごうのほう」いん
【中:[Ci xi huang tai hou zhi bao]yin
明・清|金銀・玉器|彫刻・書画>「慈禧皇太后之宝」印

清・咸豊11年ー光緒34年(1861-1908)
青玉製 
通高:10.3cm 印面:12.7×12.7cm 鈕高:5.4cm 
西太后が皇太后と尊称されそいた頃の重要な印章
 慈禧とは、有名な西太后のことである。西太后は清朝の末期に、まさにその一声で風雲を起こすといわれた人物であった。道光15年(1835)、北京に生まれ、咸豊元年(1851)清の宮廷によって秀女(地位が高く、皇子・皇孫などの妃の候補)として選び出され、その翌年に入宮し、蘭貴人の称を授けられた。咸豊4年(1854)、懿嬪の名を授かる。咸豊6年(1856)には皇太子載淳を出産、懿妃の名を授かり、翌年にはさらに懿貴妃の名を授かった。咸豊11年(1861)に咸豊帝が逝去すると、子である載淳が皇位を継承し、「慈禧皇太后」と尊称された。同年、恭親王奕訢と共謀して辛酉政変を起こし、政権を奪取すると、幼い皇帝にかわって自ら国政を執り始めた。その後同治、光緒、宣統(溥儀)の三代に及ぶ48年もの間、政権を握り、光緒34年(1908)に死去した。「慈禧皇太后之宝Jは、彼女が皇太后と尊称されていた頃に彫られた印章である。鈕(つまみ)は交寵(二頭の龍がからみあう姿)をかたどり、印文は陰刻。これは慈禧直筆の書画作品にも使用された。慈禧使用の印章のなかでも重要な一つとされている。出所:北京・故宮博物館名宝展-紫禁城と中国4000年の美の秘宝

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