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紂王  2008年08月07日(木)更新

紂王
【和:ちゅうおう
【中:zhou wang
殷・周時代|歴史人物>紂王

前1100年
「酒池肉林」で破減した殷最後の王
 前一七〇〇年ごろに始まった殷王朝は、その後、六〇〇年ほど続いた。この時代、すでに文字があったので、特に後半については記録が残っている。それによると、代々三〇人の王がいた。また、政治はすべて占いで決められていた。殷の王は占い師としての役割をもっていたのである。神の意思を占いによって知ることができるものが王だったのだ。この時代の中国は、まだ中央集権的な統一国家はない。各地に国があり、その部族の長(諸侯)がそれぞれの領土を支配し、殷もそのひとつにすぎない。つまり、 一種の連邦国家だった。そして、その首長たちのなかのトップに、歴代の殷の王が就いていた。
文明としては、この時代に青銅器が発明された。かなり優れた青銅器が発掘されており、高度な文明があったと推測されている。
殷の最後の王は、紂という。ちなみに、王や皇帝の名は、謚といって、死後に与えられるもので、その王がどんな王であったかを意味している。その死後、あれはひどい王様だったというので、この名がつけられたのだ。この紂の末路は、夏の最後の王だった築とそつくりだ。
紂は生まれつき、頭がよかった。弁舌にもたけていた。それだけでなく、猛獣を素手で倒すほどの怪力の持ち主でもあった。家臣たちの誰よりも、知力、腕力とも優れていたのである。当然、下の者をばかにするようになり、誰のいうこともきかなくなった。暴君の典型例である。
さらに、酒と女に溺れたぜいたくをきわめた酒宴のことを「酒池肉林」というが、それを最初にしたのが、この紂である。池を酒で満たし、木々に肉をぶらさげ、さらに、その肉の林のあいだに、裸の男女を走らせてそれを見物していたという。紂が寵愛した女性は、妲己といつた。彼女のいうことならば、なんでもきいてやった。一方、庶民に対しては重税を課したので、恨みが蓄積していった。当然、人心は離れ、諸侯のなかに、ついていけないと離反していく者が現れ出した。重臣のなかには紂を諌める者もいた。だが、紂はそれに耳を貸すどころか、その重臣たちを残忍な刑に処した。
この時代の刑として、炮烙の刑がある。銅の柱に脂をぬり、それを横にして、その上を罪人に渡らせる。下から火を焚いているので、すべって落ちれば焼け死ぬ。紂の愛人の妲己が、この刑を見物するのが好きだったので、さかんに行なわれたという。
これだけ悪逆の限りを尽くせば、天命が革まるのも当然だが、これは次の周王朝が、みずからが権力を奪取したことを正当化するために、実際以上に紂のことを悪く伝えたとも考えられる。
倒されたとき、紂は王に即位してから六四年目だったというからかなり高齢だ。それまでに、二回、大きな戦争を周辺の国としている。戦争は庶民にしてみればいい迷惑である。働き手を徴兵でとられ、殺され、税も高くなる。殷の人々も王を恨んでいたであろう。そういう意味での不満は鬱積していたらしい。だが、いわれるほどの暴君であったかどうかは、不明だ。出所:『覇王列伝』大陸の興亡編

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