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董卓  2008年08月08日(金)更新

董卓
【和:とうたく
【中:Dongzhuo
秦・漢・三国|歴史人物>董卓

?~192年
 新時代の幕開けを告げるダーティーヒーロー。
後漢王朝の皇帝は名目だけの存在となり、外戚と官官が権力をめぐって暗躍するようになった。 皇帝が単なる飾り物となり、外戚や官官が自分の利益のみを追究するようになると、その腐敗は中央の官僚に、そして地方の役人にまで波及し、後漢帝国は上から下まで汚職しまくる国家となった。役人が賄賂をもらうのは当たり前で、庶民の暮らしは厳しくなる一方だった。そんなふうにして約一〇〇年が過ぎようとしていた。帝国は崩壊寸前である。一六八年、 12歳で霊帝が即位。いわゆる、『三国志』時代が到来する。ついに、民衆の不満は爆発し、宗教結社を母体にした黄巾賊という反乱軍が一八四年に決起し、貧しい人々の集団に盗賊なども加わり一大勢力となった。黄巾軍は、当時の首都である洛陽にまで迫った。最初は甘くみていた朝廷も、しだいに焦り始めた。黄巾賊討伐軍が組織されることになり、いったん失脚し追放されていた優秀な官僚たちが呼び戻された。そのおかげもあって、大乱は一年ほどで終息した。 この混乱のさなかに霊帝が亡くなった。
霊帝の二人の息子、劉弁と劉協がどちらが皇帝になるかで、朝廷内は二つに割れた。二人の母親は異なり、兄の劉弁の母の一族(外戚)と、弟の劉協を立てた宦官との対立が激化したのである。結局、劉弁が皇帝に即位し、その母の兄である何進が、外戚として実権を握った。何進は権力を握ると、邪魔な存在である宦官を殲滅させるべく準備をした。宦官側はそれを察し、先手を打って逆に何進を斬った。宦官討伐のために都にいた何進側の武将、袁紹は激怒して宮廷に火を放った。追い詰められた宦官は、皇帝とその弟を連れて洛陽を脱出した。そこで、董卓と出会うのである。董卓は地方豪族で、何進の呼びかけに応じて宦官殲滅作戦に参加しようと都に向かう途中だった。皇帝兄弟と出会つた董卓は、この偶然のチャンスをものにした。
董卓は、幼い皇帝を戴いて洛陽に乗り込むと、権力を掌握した。皇帝を握っている者が権力者になれることに気づいたのである。 一八九年、董卓は皇帝劉弁を廃立させ、その異母弟である劉協を皇帝の座につけた。この皇帝が、後漢王朝最後の献帝である。ついに、皇帝権力は、外戚でも官僚でもない、成り上がり者の手に渡つてしまつた。このことは、董卓以外の誰でも、チャンスがあれば天下をとれることを示した。朝廷の要職は董卓の親しい者たちに交代させられ、反対する者は追放された。帝室の財宝を盗み、後官の女を手当たりしだい犯すなど、董卓は考えられる限りの悪行を重ねた。 やがて何進の部下だった袁紹が中心となる反董卓連合軍が結成された。そのなかから頭角をあらわしてきたのが、曹操だった。董卓は都を長安に遷し、そこでも暴政を続けた。だが、父子の契りまで交わした腹心の部下に裏切られ、殺された。出所:『覇王列伝』大陸の興亡編

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