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司馬懿  2008年08月08日(金)更新

司馬懿
【和:しばい
【中:Si ma yi
秦・漢・三国|歴史人物>司馬懿

197~251年
 百年の動乱に終止符を打った晋の建国者。字は仲達。魏の曹操に仕え、その死後も魏のために尽くした、曹操の後半生での参謀で、魏を倒した晋の実質的創始者でもある。曹操が亡くなった後は曹丕に仕え、魏帝し国の建国に尽くし、政権内部での地位を揺るぎないものにした。曹丕が若くして死ぬと、司馬懿はその子の曹叡にも仕えた。
ところが、二代目皇帝・曹叡が二三九年に36歳の若さで亡くなると、司馬懿の立場は微妙なものとなった。三代皇帝となった曹芳は八歳の少年で、実権を握ったのは、曹操の一族のひとり、曹爽だった。曹爽は司馬懿を皇帝の教育係である太傅という地位に就けた。実権はほとんどない実質的な左遷である。本筋とは関係ないが、邪馬台国の卑弥呼が、魏に使者を送ったのが、ちょうどこのころである。 司馬懿の雌伏は10年、曹爽は蜀を攻めることを決める。蜀軍の司馬懿の雌伏は一〇年ほど続いた。二四四年、曹爽は蜀を攻めることを決める。蜀軍の抵抗の前に魏軍は苦戦し、曹爽は敗退。この失敗によって、曹爽の政権内部での立場はゆらざ始めた。それを冷静に見ていた司馬懿は、二四九年に一族を総動員し、政権内部で曹爽に不満を抱く人々とともにクーデターを起こした。曹爽一族は、ことごとく処刑された。
司馬懿はいまでいう総理大臣にあたる丞相に就任し、政権の基礎を作ったところで、寿命が尽きた。二五一年に病死し、息子の司馬師が後継者となった。司馬師は弟の司馬昭とともに政権を磐石なものにしていつた。
二五四年、司馬師は名目だけの皇帝である曹芳を廃位させ、曹髦を即位させた。司馬師の死後は、弟の司馬昭が後を継いだ。二六三年、魏は蜀を滅ぼした。二六五年、晋王となっていた司馬昭が亡くなると、後を継いだ息子の司馬炎は、魏の元帝に譲位を追り、自ら皇帝に即位した。武帝である。曹操が建国した魏帝国はここに滅び、新しい王朝、晋が建国された。魏・蜀・呉の三国で残っているのは、呉帝国である。孫権は二五二年まで生き、七一歳で亡くなった。その後継者をめぐり、孫権の生前から政権内部がニ分したことで弱体化した。二七九年、晋軍は、六方向から呉に侵攻した。翌二八〇年、呉の皇帝・孫皓は降伏し、呉帝国は減亡した。こうして、魏、蜀、呉の三国はすべて減亡し、晋による中国統一が実現した。約百年にわたる動乱の時代に、とりあえず、終止符が打たれたのである。出所:『覇王列伝』大陸の興亡編

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