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趙高  2008年08月08日(金)更新

趙高
【和:ちょうこう
【中:Zhao gao
秦・漢・三国|歴史人物>趙高

?~前二〇七年
 奏帝国を乗っ取ろうとした宦官。前二一〇年、五回目の巡幸に出て発病した始皇帝は、自らの死期を悟ると、長男の扶蘇を後継者と定め、そのことを伝える勅書をつくつた。だが、それが発送される前に始皇帝は死んでしまつた。ここから趙高の大陰謀が始まる。
趙高は趙の王族の遠縁だったが、母親が死刑になる罪を犯したため、運座して去勢され、宦官になった。秦に仕えるようになると、有能で、特に刑法に通じていたことから始皇帝に重用され、出世した。始皇帝の末子の胡亥の教育係でもあった。
始皇帝が旅先で亡くなつたとき、そばにいたのは、この趙高と丞相の李斯、そして胡亥だった。李斯は始皇帝の死によつて国内の混乱が生じるのを恐れ、その死を隠したまま行幸を続け、都に戻つてから発表することにした。これに乗じて、趙高は李斯を説得し、長男の扶蘇ではなく、胡亥を帝位に就けようともちかけた。始皇帝の遺体は都に戻り、その死が発表されるとともに、偽造された勅書によつて、胡亥が皇帝に即位した。扶蘇は罪がでっちあげられ、自害に追い込まれた。
二世皇帝・胡亥は無能で趙高のいいなりだつたので、それをいいことに、趙高は恐怖政治を始めた。些細な罪でも摘発し、本人のみならず一族を処刑する連座制を強化。これによって、李斯も処刑され、他の多くの大臣や将軍が殺された。
趙高は権力の絶頂にあつた。皇帝は自分の意のまま、朝廷には逆らう者はいない。ある日、趙高は皇帝に「珍しい馬がいたので献上します」と言って、鹿を連れてきた。皇帝は「これは鹿ではないか」と笑ったが、側近たちは「馬です」と言った。「鹿です」と言った者もいたが、それらは処刑された。「馬鹿」という言葉はこの故事に由来する。
そのころ、始皇帝時代からの大規模工事は、戦争以上に人民に苦役を強いていたので、人々の不満がたまり、始皇帝の死によつてそれが噴出、前二〇七年には各地で反乱が起きるようになつていた。劉邦率いる反乱軍が都に攻め入ると、胡亥もついに趙高の責任を問うようになった。それを知った趙高は逆に胡亥を自害に追い込み、自分が皇帝に即位しようとしたが、さすがに、これに同意する者はなかった。
趙高は、秦帝国を王国に戻すと、自分が死に追いやった扶蘇の子・子嬰を秦の王位につけた。そのうえで、劉邦に対し、「天下を二つにわけよう」と提案した。子嬰はこの話を聞くと、自分もいずれ殺されると察し、先手を打って、趙高を殺し、その一族を処刑。迫ってきた劉邦には降伏した。こうして始皇帝の死からわずか三年で秦は滅びた。出所:『覇王列伝』大陸の興亡編

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