考古用語辞典 A-Words

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司馬遷  2008年08月09日(土)更新

司馬遷
【和:しばせん
【中:Si ma qian
秦・漢・三国|歴史人物>司馬遷

前145~86年、諸説ある
中国最大の歴史家
 武帝が暴君になってしまつたことでの最大の犠牲者が、『史記』の作者、司馬遷だった。
司馬一族のルーツは、周の王室に仕えていた記録係である。周王室が衰退すると一族は各国に離散した。そのひとりが漢に仕えるようになり、司馬談の代で帝国の記録を司る太史令に任令され、その息子が司馬遷である。
司馬遷は父の後を継いで太史令となり、最初の大仕事として前104年に新しい暦、太初暦を完成させた。このあたりまでは順調な人生だったが、大きな悲劇が司馬遷を襲った。
前九九年、匈奴討伐に遠征した将軍・李陵が大敗し、投降して捕えられてしまった。これに武帝は激怒し、臣下はみな追随して李陵を非難した。そのとき、司馬遷だけは李陵を弁護した。李陵の部隊はもともと勝ち目のない囮の部隊だったのである。それを聞いた武帝はすでに冷静な判断力を失っていたので、司馬遷を捕え死刑を命じた。司馬遷は父の遺志でもあった歴史書を完成させるためにも生きなければならなかった。当時、大金を積むか、死よりも屈辱とされた宮刑(去勢されること)を受ければ死刑を免れる制度があった。司馬遷には財産がなかったので、後者を選ぶしかなかった。四〇代にして男でなくなった司馬遷は、残りの生涯を『史記』完成に全精力を注いだのであった。
その『史記』は、歴史書の形式を決めた点でも後世に残る。司馬遷はまさに、「歴史を作った人」なのである。『史記』は三皇五帝の五帝の時代から、当時の「現代」である漢の武帝の時代までを、紀伝体という、ひとりひとりの伝記のスタイルで綴ったもので、 一三〇篇、五二万六五〇〇字という大作だ。当時は紙がまだなく、竹でできた札(竹簡)に書いていった。登場する人物は王や皇帝といった政治家・武将だけでなく、当時は卑しいとされていた商人や、遊侠の人、あるいは暗殺者である刺客にまで及ぶ。『史記』には、こんにちの歴史学では否定されている事柄も記されているが、中国古代史に関する第一級の史料であることにかわりはない。また、文学作品としても、『史記」は高く評価されている。出所:『覇王列伝』大陸の興亡編

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