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夫差 2008年08月21日(木)更新
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(?~前473年)
夫差は中国春秋時代の呉の第7代、最後の王。春秋五覇の一人に数えられる。先代の呉王闔閭の次男。越王勾践によって討たれた父・闔閭の仇を討つため、伍子胥の補佐を受けて国力を充実させ、一時は覇者となったが、前四七三年勾践の反撃により敗北して自決した。
三年待つ必要はなかった。越が攻めてくる動きを見せたので、夫差はこの動きを察すると、先制攻撃を仕掛けた。越は奇襲を受け、敗北。王・勾践は会稽山に逃げた。そして、屈辱ではあるが、呉の大夫に賄賂を贈り、夫差に和議を申し入れるようとりなしを頼んだ。
戦いに勝つたことで気をよくしていた夫差は和議を受け入れ、勾践の命を助けることにした。伍子胥は自分の経験から、復讐心が根深いものだと理解していたので、勾践を生かしておくことに反対したが、夫差は聞き入れなかつた。このころから、夫差は父の代からの重臣である伍子胥がうざったくなっていたのである。
越は滅ぼされずにすみ、勾践は夫差に恭順の意を表しつつも、復讐の機会をうかがつていた。だが、夫差はもう越は敵ではないと思い込み、斉への侵攻を企てた。それに反対したのは、またしても伍子胥だつた。越を完全に討つべきだと伍子胥は進言した。だが夫差は斉に兵を出し、勝利した。こうなると、ますます伍子胥を無視するようになる。そればかりか、越に買収されていた家臣が、伍子胥についての讒言をすると、それを信じた。ついに夫差は伍子胥に自害するよう命じた。伍子胥は、「我が目をくりぬき、都の東門に乗せてくれ。越が攻めてきて呉が滅びるのを見届けてやろう」と言い捨て、自害した。伍子胥がいなくなると、あとはご機嫌をうかがう家臣しか残らず、夫差の独裁となつた。
夫差は、諸侯を集め会盟をおこない覇者になると言い出した。だが、会盟の地に向かっていた夫差のもとに、越が攻め入り都が陥落したとの報が入る。会盟は開いたものの、すでに諸侯の耳にも呉の都陥落の知らせは届いており、夫差は覇者にはなれなかった。
夫差は帰国した。宮殿は焼け落ち、太子も殺されていた。反撃の余力は、軍事的にも経済的にも、そして夫差の気力としても残っていなかった。そこに、越は追い討ちをかける。伍子胥の予言どおり、越が東門から攻めてきたのだ。
夫差は逃げた。そして、「会稽山を思い出してほしい。私はあなたを助けたではないか。今度は呉を助けてくれ」と、勾践に和議を申し入れた。勾践は和議を受け入れようかと考えたが、側近が「呉は、かつて会稽山で天が与えた越を受け取らなかったので、こうなったのです。天は今度は越に呉を与えようとしているのですから、これを受け取らないのは、天命に逆らうことです」と進言した。
勾践はそれを聞き入れ、呉は滅ぼすが、夫差の命は助けてやろうと返答した。すると、夫差はいまさら越の王に仕えることもできないと、「伍子胥にあわせる顔がないので、死んだら顔を布でおおってくれ」と言い残し自害した。前四七三年のことである。出所:『覇王列伝』大陸の興亡編
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