考古用語辞典 A-Words

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三鋒戟形器(5点)  2008年08月24日(日)更新

三鋒戟形器(5点)
【和:さんほうげきがたき
【中:San feng ji xing qi
春秋戦国|青銅器>三鋒戟形器(5点)

青銅 
高119cm 幅74cm 厚1.2 cm 銎(差込口)径13.5cm
重(l)(5)56.6kg(2)52.4kg(3)53.4kg (4)55.8kg
1978年中山王(興+昔)墓出土
 同形器は五点出土。器上に刻まれた銘文の番号に「七」とあることから,本来は五点以上存在したことがわかる。残りは早く盗掘に遇った一号車馬坑に副葬されていたのであろう。
「山」字形をしているところから,以前は「山」字形器とも呼んだ。上部は三つの尖鋒,下部両端は延びて渦を巻き雷文を成す。下部中央に円形の銎があり,出土時に木灰が残っていたことから,本来,木柱の上に挿入されていたことがわかる。大型の銅戟形であるところから「三鋒戟形器」と名付けられた。
戟の形式に関し,先人の考証が多いが,諸書の記載は一致せず実際の戟形もさまざまである。『説文』に「戟は枝有る兵(武器)なり」とあり,『釈名』。「釈兵」には「戟は格なり,傍らに枝格(えだ)有り」とある。戟とは主鋒の外に横に鋒の出たものであることを言っており,主鋒以外に一鋒が分枝した二鋒の戟や,二鋒が分枝した三鋒の戟があったことがわかる。『考工記』に「戟の広さは一寸有半」,その注に「今の三鋒戟なり」とある三鋒戟は,『三礼図』に付された戟の図「屮」に合致するし,中山王墓出土の三鋒戟形器とも基本的に一致する。
沢山の戟を並べて使用することを列戟と呼ぶのであろう。列戟の制度は唐時代の諸文献や壁画に見え,『唐六典』の規定によれば三品以上の大員(高官)と中小州クラス以上の役所にしてはじめて列戟が許されたという。戟の数の多寡は地位の高低を表す。『新唐書』・「百官志」に「凡そ戟は廟,社、宮殿の門に二十有四」と記されている。唐代懿徳太子墓壁画に見える列戟は,東西両壁各12本ずつで,皇帝の宮殿の門の数と同一である。懿徳太子は天子の礼をもって葬られたわけである。淮安王李寿墓壁画に描く王府府門両側には,各列7本ずつ合計14本の棨哉(儀使用の木戟)が並ぶ。官職や身分の相違により列戟の数も異なった。それは封建時代等級制度の差異を示したのである。中山王墓の戟形器の発見は,隋唐時代の門列棨戟の源流を探る重要な手掛りを提供した。われわれが今日,中山王墓出土の三鋒戟形器の意味を研究するうえで,隋唐時代の門列棨戟制度も示唆を与えてくれる。出所:「中山王国文物展」-中国戦国時代の雄 

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