考古用語辞典 A-Words

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莫高窟第二四九窟(複製)  2008年09月13日(土)更新

莫高窟第二四九窟(複製)
【和:ばっこうくつ二四九くつ
【中:mo gao ku di er si jiu ku
晋・南北朝|彫刻・書画>莫高窟第二四九窟(複製)

高523.0 幅四73.0 奥行676.0
西魏
造営年代・窟形式
   本窟は、その造営年代を伝える窟内の供養願文年記や文献史料が遺らないが、石窟構造の形式、安置されている塑像や壁画の主題・様式から西魏時代の窟と考えられる。敦煌莫高窟の第I期諸窟中で、北涼・北魏に続く西魏時代の石窟壁画は清新な魅力にとみ、絵画史的にも興味深い。八窟の複製のうち、時代的には短期間に終った西魏の窟からこの第二四九窟と第二八五窟の二窟もが選ばれているのもうなずかれる。
約千四百年も前に造られたにもかかわらず、壁画は一部の変色を除けば当初の鮮やかな彩色を今なお遣し、後代の改変、描き直し(重修と呼んでいる)が全くと言ってよいほど見られない。しかし本窟も今世紀初め、フランスのペリオが撮影した写真によれば、すでに東壁がすべて崩落して、外から内部の本尊や天井画が拝せるほど自然破壊が進んでいたのである。しかし乾燥した気候状態が幸いし、また敦煌文物研究所による修復工事によって、危機を免れた。
さて本窟は、敦煌石窟の主要な石窟形式の一つである伏斗式石窟の最初の本格的な窟である。奥にやや長い方形のプランを持ち、単龕式で入り口は東壁(前壁)にあったが、前述のように東壁自体は現存しない。窟頂(天井)は伏斗形すなわち中国の斗を伏せたようで、中央に方形の藻井を形成する。藻井部は、建築天井の架構法の一つであるラテルネンデッケ(三角持ち送り式天井)を模したもの。石窟が本来、地上に建てられた寺院と同等のものとの認識の上に造営されたことを示す好例である。
西壁
    正面西壁中央に円拱龕の大仏龕を開き、仏倚像を安置して本尊とする。(なお龕外左右の壁面に接して立っていた塑像二体は失われ、さらにその外、南北両壁西端の塑像菩薩各一体も補修が著しい。)龕内壁面には、大きな火焔光背とその余白、上部湾曲した壁面にアクロバチックなポーズをとる飛天、その下に供養菩薩、鹿頭梵志と婆藪仙を描く。同様の飛天は龕外両側壁上部にも配され、その下に四段にかさねるように供養菩薩群が描かれている。
南・北壁
    最上部に西壁も含めて、天宮伎楽図を巡らすが、これは凹凸感を強調したバルコニーの上に闕やアーチ形の天宮を交互に並べ、中に奏楽舞踊の伎楽天を配したものである。天宮伎楽図と最下部の供養者および夜叉の列とのあいだの広い壁面は、千仏図で占められる。千仏は、着衣・頭光・身光の配色をそれぞれ異にする横並び八体が一ユニットとなり、上下に一体ずつずらして配され、規則的な装飾文様を構成している。
千仏に囲まれた区画内には五尊形式の仏説法図が南北ほぼ同図様で捕かれている。小型ながらいずれも表現のスケールは大きく、北壁中尊は、右手に施無畏印、左手に衣端を取り、南壁中尊は転法輪印を結んで正面を向き、蓮華座上に両脚を開いてやや腰をひねりながら立ち、四体の協侍善薩とともにしなやかで強靭な姿態を見せる。上部左右の四飛天は極端にデフォルメされ、動勢溢れるその造形は異彩を放っている。これらが西域様式を明確に示す中で、そのうちの北壁上部の二飛天のみは、袖の広い褒衣博帯と呼ばれる中国中原の士大夫風の着衣で表されているのが注目される。
窟頂
    窟頂最下部四周、側壁の天宮伎楽図の上には、山丘・樹木をかたどった中に騎馬狩猟の人物や、線描によるほほえましい猪の母子(北面右)などの禽獣が描かれ、地上の世界を表し、その上の窟頂四面全体は、仏教尊像と中国古来の神仙、怪神が飛び交う一大天上世界をなす。 まず窟頂最上部の藻井は、ラテルネンデッケの外伴のみを立体的に表し、内側は中央に蓮華を、四隅にパルメット文を壁画で表し、窟内装飾の要となっている。窟頂正面(西面)の中央には、仏教の護法神阿修羅が、四臂のうち上の二臂で日月を掲げ大海(七金山と八大海)中に立つ。その背後に重なるように須弥山が聳え、二龍が取り巻き、その広い頂きには帝釈天らの王宮がある。須弥山左右で活躍するのは、宗達の「風神雷神図」の風神のような烏獲、雷神のような雷公で、他にも中国の神話や神仙世界を棲家とするものたちで、窟頂四面を埋め尽くす。東面では、二力士が摩尼宝珠を捧げ、九首龍の開明や玄武など、そして南北面にはそれぞれ鳳車に乗る西王母(或いは帝釈天妃)、龍車に乗る東王公(或いは帝釈天)をはじめとして諸々の神仙・怪獣が勢いよく西を目指して飛んでいく。
中国の伝統的な神仙思想と外来の仏教思想が交じり合い一体化していく中で、想像の限りを凝らして描き出されたこれらのモチーフは、窟頂の白い壁面上に、群青,白緑や茶色、赤(黒変している)などで彩られ、明るくおおらかな天空世界を表し出している。
    本窟は、このように絵画史的にも仏教的主題・西域様式と漢魏以来の中国的主題と技法とが融合した、新たな創造に満ちた世界が繰り広げられており、魅力は尽きない。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念

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