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楡林窟第二五窟(複製) 2008年09月13日(土)更新
【和:ゆりんくつだい二五くつ】 |
【中:Yu lin ku di er shi wu ku】 |
隋・唐・五代|彫刻・書画>楡林窟第二五窟(複製) |
高440.0 幅601.1 奥行720.0
中唐
窟形式・造営年代
楡林窟第二五窟は、踏実河(楡林河)に削られてできた渓谷の東崖下層に東向きに開鑿された窟で、前室と長い甬道と主室から成る。主室は、正方形のプランを持ち、西壁の門口より入って正面奥が東壁、左が北壁、右が南壁となる。伏斗式の窟頂は完全に崩壊している(従って今展では、複製も窟頂部分を省略した)が、四周の壁画は造営当初のままほぼ完好な状態を保っている。
窟内には壁画と同時期のチベット文題記や吐蕃人の姿が描かれ、また莫高窟の関連諸窟壁画との比較から、本窟の造営は吐蕃の占領期すなわち中唐時代初頭、八世紀末と考えられており、盛唐から中唐にかけての東高窟壁画中にも稀なほどの優れた造形性と保存の完壁さを備え、敦煌における中唐芸術を代表する窟である。
壁画の主題・内容
南壁の観経変相図は、莫高窟第三二〇窟と構図において共通点が多い。中台の阿弥陀浄土図は、中心に阿弥陀三尊と諸菩薩の集う華座段を、その前に舞楽会、その左右に樹下会をいずれも蓮池上の宝壇(露台)上に表し、華座段の背後左右を宝楼段の楼閣で囲む。視点を中尊顔面と同じ高さに置いて俯瞰視した浄土空間は、不完全ながらも透視遠近法的奥行きと広がりを持ち、その統一的な表現において第三二〇窟図に優る。しかし仏菩薩表現は、面貌・着衣など中唐期独自の様相を呈し、莫高窟盛唐期に,見られる雄偉さより、人間的な親しみやすいものとなっている。また各尊は十分な量塊性を保ち、中唐様式の平板な表現にはいまだ陥らず、楼閣描写も精緻を極め、ファンタジックというよりむしろ現実的な浄土景観を現出している。
北壁は、南壁と同様、大部分を弥物経変相図が占める。『弥勒下生成仏経』を典拠とし、弥助三会を大きく表わし、その周辺・背後に、経に説かれるさまざまな説話場面をこまやかに描き出している。中央の初会では、弥勅がこの世に下生し龍華樹下で説法をしており、その前で王、貴族、女官たちが剃髪得度する場面。その前には、王から弥勒へ、弥勒から婆羅門へ贈られた七宝宝台を婆羅門たちが壊している様が精妙に描かれている。左下は第二会で平民が、右下は第三会で女子が剃髪得度して、弥助の説法を聴くところである。その後ろは、経に「弥勧の世には女人は五百歳にして乃ち行稼す」とある場面で、当時の婚礼の風俗をこまやかに描いた一幅の絵として鑑賞されよう。
東壁は、本窟における大乗仏教の顕密両教の結合を端的に示している。河西で密教を説き広めた不空訳の『八大菩薩曼茶羅経』による密教画で、廬舎那仏を中心とし、左右に四菩薩ずつを配して表されているが、南側は失われている。さらに西壁門口左右には文殊・普賢変相図が描かれる。
本窟の壁画の優れた点は、いずれの図も練り上げられた構想・構図に基づき、弛みのない完成度の高さ、気力に溢れ充実した多様な線描力による的確な造形、とりわけ精精緻端止な拙線が備える品格の高さにあろう。そうした特徴は、北壁に多出する天部像に最もよく表われている。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念
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