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莫高窟第二五四窟南壁 2008年09月14日(日)更新
【和:ばっこうくつだい二五四くつみなみへき】 |
【中:Mo gao ku di 254 ku nan bi】 |
晋・南北朝|彫刻・書画>莫高窟第二五四窟南壁 |
摩訶薩埵本生図(模写 謝成水)
紙本着色
縦142.3 横175.5
北魏
「摩訶薩埵(マカサッタ)太子本生」は、釈迦のさまざまな前生の物語であるジャータカ(本生話)の中でも最も親しまれ、早くから絵画化された。その遺例は、インドから西域、中国などに広く分布しており、法隆寺玉虫厨子板絵「捨身飼虎図」はその系譜の末端に位置する。
このマカサッタ太子本生は、『六度集経』、『賢愚経』、『菩薩投身飼餓虎起塔因縁経』などの本生経典の他に、北涼の曇無懺訳『金光明経』巻四にも説かれ、釈迦が前世に摩訶薩埵太子であったときの大慈悲心と自己犠牲的な″菩薩行″の精神を賛美する典型的な本生話である。
二人兄弟の末弟であった薩埵太子が、兄たちと山林に遊びに行き、飢餓に苦しむ母虎とその子虎たちに出会う(場面①)。太子は慈悲心を起こし、自らの肉を与えて救おうと虎の前に横たわるが(場面②)、衰弱しきった母虎は、食べる気力もない。そこで太子は、竹の枝を折り頚に突き刺して崖上から身を投じ、流れ出る血で母虎を誘き寄せその体を食わせて(場両③)ようやく虎の母子を救うことができた。その場戻ってきた二兄は、白骨となり果てた弟の遺骸を見て驚嘆し(場面④)、その知らせに両親の王、王妃らもその場に駆けつけて嘆き悲しむ(場面⑤)。そして塔を建て太子の遺骨を納め供養した(場面⑥)という。
画家は、説話のクライマックスシーン、いわゆる″捨身飼虎″をまず画面右手に大きく異時同図的に描き出す(場面③)。跪き右手に持った竹の小枝で頚を突き刺す太子の姿から飛び降りる太子の無心の姿ヘとつながり、崖下ではすでに気絶して横たわる太子に母虎がのしかかり脇腹に噛みついている。その頚から背、後右足へと力強いC字形をなすポーズは、野生を取り戻した虎の獰猛さを印象づける。この説話のハイライトに当たる部分、飛び降りる太子と脇腹に喰いつく母虎のみをモチーフとして描く例は、キジル石窟壁画(第三八窟など)をはじめとして、我が国の玉虫厨子板絵に至るまで広く見られ、主題とともに造形の伝統が早くから生み出され、継承されたことを示している。
太子の回りに群がる子虎は七匹が数えられ、子虎七匹を描くこの敦煌壁画や玉虫厨子板絵は『金光明経』を典拠とし、一方キジル壁画の遺例では子虎は二匹で、これは『賢愚経』に依っている。
ところで、本図の画家はここでさらに場面③前後のストーリーを描こうと試みている。すなわち、中央やや上に、場面①の虎の母子に出会ってあれこれ相談する三王子、左下方では場面④の太子の白骨を見て嘆く二兄たち、その上には場面⑤、すなわちその場に駆けつけた両親が「母は其頭を扶け、父は其手を捉え、哀號悶絶……」(『賢愚経』による)ところであろう(ただしここでは太子の遺核を白骨として描いていない)。そして左上には、場面⑥の起塔と納骨を表して終わる。
画家は主題の全容を描こうとしながら、未だ秩序だった時間空間的表現を求めて模索段階にあり、画面は明確な場面区分もなく錯綜した様相を呈している。その意欲が主題の持つ激情的な内容と相まって躍動感あふれる画面となって表わされている。各人物の強い隈どりによる力強く、弾力性に富んだ姿態に対し、着衣の赤や白緑と白群の実の衣褶文様、アクセント的に施された白い描線が美しい。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念
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