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莫高窟第二二〇窟東壁南側 2008年09月18日(木)更新
【和:ばっこうくつだい二二〇くつひがしへきみなみがわ】 |
【中:Mo gao ku di 220 ku dong bi nan ce】 |
隋・唐・五代|彫刻・書画>莫高窟第二二〇窟東壁南側 |
維摩経変相図部分
[維摩図](模写 鄧恒、趙俊栄)
紙本着色
縦232.4 横180.0
642年(初唐)
亀茲出身の鳩摩羅什が五世紀初頭長安で訳出した『維摩詰所説経』は、代表的な初期大乗経典の一つで、その内容を表した維摩詰経変相(略して維摩経変相)は、敦煌莫高窟には六十以上に及ぶ壁画作例が遣存している。
維摩詰(略して維摩)は、仏伝にもみえる北インドの富裕な在家信者(居士)で、仏教教理に精通し、じつは菩薩の化身であると説かれたいわば大乗仏教の理想的人間像を体現した人物である。維摩経変相は同経の「文殊師利問疾品」の中心をなす場面、すなわち維摩が病を装って、次々に見舞い(「問疾」に訪れる国王以下諸人を論破するのを知った釈迦が、十大弟子や菩薩たちを「問疾」に差し向けようとするが、誰も応じようとはせず、結局一人だけ承諾した智慧第一の文殊菩薩が、彼のもとを訪れ、諸菩薩、弟子衆をはじめ国王・大臣以下多数に囲まれて、まさに論談しようとするところを核として展開する。
この主題を壁画に描くことは、敦煌石街では隋代に始まり、当初は文殊と維摩を主に窟内西壁の仏龕の両側壁上部に左右に分け、それぞれが殿舎の中にいて問答し合い、仏弟子や苦薩が聴聞するだけの比較的簡略な図様であった。しかし初唐時代に入ると、窟内東壁の門口左右の大壁面に所を得て、南側に維摩、相対する北側に文殊を配する形式が現れ、内容的に格段の広がりを持ち、構図や人物表現も飛躍的な進展を見せる。第二二〇窟東壁画は、その初期のしかも完成度の高い代表的作例と言って過言ではない。
本図はその東壁南側、帳幕を垂れた胡床に坐す維摩、そしてその下方の見舞いに来た周辺諸民族の風俗を交えた各国王族(各国王子)や護法諸神を描いた部分図である。
維摩は、右手に塵尾を持ち、鳥脚の机にもたれながら、真っ直ぐに頭を起こした精悍で堂々たる偉丈夫として描かれる。老貌ながら眉間に皺を寄せて文殊を見据える様は迫真的で、内面の才気煥発な精神をも窺わせる。的確な描線と隈取りによる写実性と高い理念を備えた人間維摩の像がここに息づいているといえよう。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念
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