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莫高窟第一七二窟東壁北側 2008年09月20日(土)更新
【和:ばっこうくつだい一七二くつとうへききたがわ】 |
【中:Mo gao ku di 172 ku dong bi bei ce】 |
隋・唐・五代|彫刻・書画>莫高窟第一七二窟東壁北側 |
維摩経変相図部分[三水](模写 高爾太)
紙本着色
縦46.2 横66.4
盛唐
本図は、盛唐時代第一七二窟主室内東壁門口北側中央部に描かれた文殊変相の背景をなす山水風景の内、左上瑞部分の模写である。文殊変相図自体は損傷、変・退色が著しいが、山水部分はその優れた表現や保存の良さのみならず、唐代風景画遺例として極めて貴重な存在であるので、特にこの部分のみが模写されたのであろう。したがって原画でこの部分に僅かに重なる飛天の天衣の一部なども除去されている。
文殊菩薩は、維摩変では一方の役として表わされるほか、それぞれ多数の眷属を従えた文殊変・普賢変相図として窟内の対称的な位置に配し描かれることが多い。文殊・普賢変を窟内西壁の仏龕左右に描くことは、初唐の第二二〇窟(文殊変は北側)、第三ニ一窟、第三四〇窟(ともに文殊変は南側)などに始まり、盛唐の本窟ではそれらが維摩変に代わって東壁に移り、より広い壁面に描き出されることとなった。
中国では、早くから五台山(山西省)を文殊の住所清涼山とする信仰が行われており、本図の獅子に乗る文殊とそれを囲む諸眷属も、五台山の伽藍から雲に乗って進発し、眼前に迫り来たところである。その有機的な景観構成は、独立した山水画として十分な内容を備え、また屈曲する汀、リズミカルな水面の波動は、文殊の動勢とも調和している。横に広い山水画面は、観るものの目と、水平線をほぼ同じくし、やや俯瞰的に風景をとらえ、その広く遠くへと限りない空間を表す、中国の画論に謂う″平遠山水″に近いものであろう。
本図は奥深い空間の現出に成功しており、初唐山水表現がより雄大に、またより自然に成熟していることが指摘されよう。なおとりわけ興味深いのは、その技法的特色として、比較的平面をなす部分に緑青を、切り立った崖の側面には、赤褐色を主として緑青や淡墨を刷くが、描き起こしの線を最終的には加えていない、 いわゆる″没骨″画風であることがあげられよう。こうした表現は程度の差はあれ初唐の第三二三窟などにも見られるが、本窟では技法的にもさらに優れた段階にまで高められている。
さて本窟がその南北両壁に、ほとんど同様構図の観経変相図を描いていることはよく知られているが、北壁画は盛唐様式、南壁画は中唐の様式を示している。盛唐末期においては、吐蕃勢力侵入のため開窟後しばらく造営が進まず、吐蕃占領後に完成を見た窟が少なくない。本窟もその一つとすれば、この出水画は、盛唐末、八世紀半ば過ぎの制作ということになろう。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念
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