考古用語辞典 A-Words

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莫高窟第四〇九窟東壁南側  2008年09月21日(日)更新

莫高窟第四〇九窟東壁南側
【和:ばっこうくつだい四〇九くつとうへきみなみがわ
【中:Mo gao ku di 409 ku dong bi nan ce
宋・遼・金・元|彫刻・書画>莫高窟第四〇九窟東壁南側

回鶻王供養図(模写 楊麟翼)
紙本着色
縦226.5 横169.5
西夏
  第四〇九窟東壁門口南側の壁面一杯に描かれた男子供養者とおそらくその子息、そして八人の従者からなる大幅の供養図である。
この窟は、もともと隋代に開かれたが、西夏時代中期に大規模な修復によって西夏独特の千仏や装飾文様を主体とする壁画が重ね描きされた。本図の供養者が願主と思われるが、図左端の標題や門口上にある願文標題一面の文字が消えてそのアトリビューションは明確ではなく、西夏(タングート族)王、あるいは回鶻王とされてきた。
男子供養者は、堂々たる体躯に風格を備え国王の身分を持つものにふさわしい。団栗に似て頂の尖った白氈の円筒形の高帽を戴き、円領、細袖で団龍文の抱を着け、腰の革帯に刀や独特の形をした嚢、結んだ縄など種々のもの(これは唐代武官の服制にある七事に符合するとされる)を佩び、白い氈靴を穿いている。こうした服飾は、敦煌の西、吐魯番ベゼクリク石窟壁画の回鶻高昌時代の貴人の供養者像に共通点が多い。今世紀初頭、ドイツのルコックが切り取って持ち帰った多くの壁画の内第九窟(ルコック編号、現第二〇窟)中堂入り口の右裏壁の三人の男子供養者などにそれが見られる。また侍者が一様にかぶる上が広く下がすぼまった扇状の帽子も、ルコック将来の第二五窟(同前、現三八窟)壁画回鶻王侯家族群像中の男子侍者とよく似ている。本図と同じ東壁北側の女子供養者二体(南側の王の妃であろう)もまた前記ベゼクリク第九窟の女子供養者の髪型・服飾・姿態などに近い。ベゼクリク第九窟壁画は、今日十世紀前後と考えられているので本図よりやや先行することになるが、この頃の西夏タングートと回鶻との親密な交流関係からも、本図を回鶻王の供養図と見ることができよう。
侍者の持物、傘、一局の扇長柄、種々の武器などを巧みに配置した構図、柄香炉に王が香をくべる指先の細やかな表現、渦を巻いてたゆたう煙雲など、ともすれば生硬に陥りがちの西夏壁画にあって、 一幅の清涼剤ともいうべき作品である。当初の描線の多くはすでに剥落したとされるが、もともと比較的細い線で描き起こされていたと見られる。人物の丸々とした童子のような面貌、特に柳の葉のような細い眼た本図独自の造形の出自は、今後服制等とはまた別に求められなければなるまい。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念

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