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綴花絹幡 2008年09月25日(木)更新
縦78.0 横9.5
盛唐
これは保存状態も良好な小型の幡である。 一九六五年十月、第一三〇窟南壁初層壁画下の孔から発見された。三角形の幡首は二層の白い絹を用いて縫製してあり、幡身と幡尾は薄く乗らかな深い青色の絹を用いている。幡首から幡尾までに、黄色、緋色を絞り染めにした絹と白色の絹をそれぞれ八弁の花形に切り取ったものを八枚、綴り縫いしてある。
莫高窟第一三〇窟からは、絹製の幡が数十件出土しており、染纈(絞り染め)絹幡、紋綺(あやぎぬ)幡、錦幡などがあるが、花形を縫い付けた綴花絹幡はこれがただ一つである。同時に出土したものに開元十三年(七二五)の発願文を記した絹幡があり、また第一五六窟前室北壁に記された「莫高窟記」には、″開元年中……造南大像(第一三〇窟のこと)”との記載がある。また第一三〇窟甬道北壁第一層壁画の男性供養者像第一躯の題記に″朝議大夫使持節都督晋昌郡諸軍事守……樂庭瓌要供養時″という文字があり、樂庭瓌という人物については知られないものの、瓜州(今の敦煌県)を晋昌郡と称したのが天宝元年(七四二)から乾元元年(七五八)の間であったことが知られているので、これらによって導き出される第一三〇窟の推定開鑿年代からも、この綴花絹幡は開元、天宝頃のものと考えられるのである。
敦煌莫高窟の絹幡は大きく二種類に分けることができる。 一つは蔵経洞から発見された彩絵の絹幡と幡蓋(天蓋)である。これらは寺院に所有され、仏堂の中を飾って仏教世界の荘厳を表現した。惜しむベきは大部分が国外に流失してしまったことである。もう一つは第一三〇窟出土の絹幡で、これらは民間の一般信徒が災いをはらい招福を祈願して仏堂に献じた供養物であった。第一三〇窟出土の絹幡の存在は、中国の伝統的な宝、絹織物の発展を研究する上で、貴重な基準作を提供するものである。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念
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