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優婆塞戒業品之余巻第七 2008年09月27日(土)更新
【和:うばそくかいぎょうひんのよかんだいなな】 |
【中:You po sai jie ye ping zhi yu juan di qi】 |
晋・南北朝|彫刻・書画>優婆塞戒業品之余巻第七 |
紙本墨書
縦27.8 横76.0
東晋
敦煌研究院0130号
起首はととのうが、末尾を欠く。全部で三四行である。「優婆塞戒業品之余巻第七」に始まり、「当知是人不得具戒」に終わる。各行十六から二〇字と、字数は不揃いで、数箇所に補筆がみとめられる。罫線の幅も一様でなく、上下の界欄の線の太さもそろっていない。およそ写経生の手になるものとはいいがたい。紙の質は比較的厚く、字体は漢代の簡牘にみえる隷書に近い。『優婆塞戒経』は北涼の高僧曇無懺が訳したもの(四二六年)で、写本の書法は敦煌研究院○〇七号の『大慈如來十月二十四日告疏』(四五四年)に近い。この写本は経が訳出されてまもなく書写されたとみられる。この経の『出経後記』(奥書)によれば、北涼温渠蒙遜の息子温渠興国は諸優婆塞等五百余人とともに、都城の中において天竺法師曇無懺に、この在家菩薩戒を訳すことを請うたとある。これがすなわち『優婆塞戒経』である。優婆塞とは在家男子信者で、北涼における世俗の仏教に対する信仰が隆盛していたことがうかがえる。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念
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