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臘八燃灯分配窟龕名数 2008年09月29日(月)更新
【和:ろうはちねんとうぶんぱいくつがんめいすう】 |
【中:La ba ran deng fen pei ku kan ming shu】 |
隋・唐・五代|彫刻・書画>臘八燃灯分配窟龕名数 |
紙本墨書
縦25.2 横47.0
九五一年(五代)
敦煌研究院0671号
この文書は僧政道真が、臘八節の前日に社人(奉仏・互助集団の同志)に対して配った臘八(旧暦十二月八日)の、莫高窟における燃灯に関する告示文である。この告示によれば、莫高窟を十一の地段に分けるとあり、十一の各組に督促の責任を負わせた。それらは田闍梨・李禅・張僧政・陰法律・羅闍梨・曹都頭・索幸者・陰押衙・梁僧政・王行者・安押衙・杜押衙・喜成郎君などである。告示文中にあげられた多くの洞窟の名称および燃灯の盞の数は、莫高窟の寺院経営史を考える上で希少このうえない資料である。榜文の後部に道真の評語がある。これは当時の敦煌の仏教や社会組織などを理解するうえで重要な意義を有している。これははじめに「辛亥年十二月八日夜□□□社人遍窟燃灯分配窟龕名数」と記し、終わりに「辛亥年十二月七日釈門僧政道真」と署名する。研究によれ一ば、この文書の辛亥年は九五一年とされる。
終わりの五行の小さな文字は原収蔵者毘陵の呉曼公氏が一九五七年に書いた跋文である。曼公氏はのちにこれを敦煌文物研究所(敦煌研究院の前身)に寄贈したため、この文書は故郷に帰ることになった。
これは「允経」(すなわち廃紙)の裏面に書いたものであり、正面は廃棄された『大般若波羅蜜多経』であった。経の欄外上部に「兌」の字が書いてあり、これによって「兌経」であることがわかった。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念
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