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成吉思汗聖旨石刻(複製) 2008年12月17日更新
【和:ジンギスかんせいしせっこく】 |
【中:Cheng jie si han sheng zhi shi ke】 |
宋・遼・金・元|彫刻・書画|>成吉思汗聖旨石刻(複製) |
長74.6,幅5.9cm
山東省青島嶸山大清宮石刻により複製
その一
「欽差近侍劉仲禄奉成吉思皇帝聖旨,道与諸処官員毎(們)丘神仙応有底(的)修行院舎等,係逐日念誦経文,告天底人毎与皇帝祝寿万万歳者。所拠大小差発賦税都休教著者。拠丘神仙底応係出家門人等随処院舎,都教免了差発税賦者。其外,詐推出家影占差発底人毎,告到官司治罪。断按主者奉到如此,不得違錯。須至給付照用。右付 神仙門下収執。照使所拠,神仙応係出家門下精厳住持院子底人等,非免差発税賦。准此。癸未羊児年三月 日(年月に「御宝」の捺印)
その二
「宣差阿里鮮面奉成吉思皇帝聖旨 丘神仙奉知来底公事,是也。(日+煞)(恰)好我前時巳有聖旨文字与体,来教体天下応有底出家善人都管著者。好底歹底,丘神仙你就便理会,只体識者,奉到如此。
癸末年九月二十四日西域化胡帰順,回至燕京,皇帝感労,即賜金虎牌,曰『真人到処,如朕親臨。』丘神仙至漢地,凡朕所有之城池,其欲居者居之。掌管天下道門事務,以聴神仙処置。他人勿得干預。宮観差役尽行蠲免。所在官司常切衛護。
天楽道人李謙書J」青島嶸山太清宮の壁にはめこまれていたこの2個の聖旨石刻は,ジンギス汗が武力征伐偏重から同時に「文治」重視へ変わる過程で,漢族の儒家道家の人材を重んじたことを研究するうえで貴重な資料である。出所:中国内蒙古北方騎馬民族文物展
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