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黎族服飾 2009年1月16日更新
【和:リーぞくふくしょく】 |
【中:Li zhu fu shi】 |
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「南海の夜光玉」と呼ばれる海南鳥には,働きもので聡明な68万人の黎族が,島の五指山区と黎母嶺山区一帯に先祖代々住んできた。
南方の民族を語るとき,おのずとリー族の々性の手になるすばらしい織り物のことが思い,浮かぶ.宋代の末期から元代の初め(紀元13世紀末)にかけてのころ,機織りの技術を改良したことで有名な漢族の婦人黄道婆は,崖州のリー族の女性たちからその十技術を習って郷里に帰り,やがて,江南地区における綿紡績業の一人発展を促すことになったという。その実, 早くも紀元前1世紀のころには, リー族の女性が自分たちで糸を紡ぎ,染め,布を織った「広幅布」のことが, いろいろな史書にも記されている。のちに, リー族地区で織られる「古貝布」「盤斑布」「食単(テープル掛け)」などは朝延への貢物となった。特に10世紀から13世紀にかけて,その機織りの技術は中国南方で誉れが高かった。清代になってからも「黎錦光輝艶若雲(リー族の錦織りは雲のごとくあでやか)」と詩にうたわれている.
リー族社会では,部族の違いにより,服装も少し違ってくる。一般的にいって, 女性の服装は, 本地リー族がいまも頭からかぶる上衣を着るほか,他の部族の女性はすでにだんだん漢族の服装に変ってきているが, 下はいまも筒裙(筒状スカート)をはく.服装の様式は,ほぼ次のように変化してきた。つまり,上衣については,衿なしボタンなしのかぶり式のものから―衿なしボタンなしの前合わせ式―衿つきボタンつきの右前合わせ式(漢族の服装)へと変わり, 下の方は短い筒状スカートからーー長い筒状スカートーーズボン(漢族の服装)へと変わった.上衣とスカートにほどこされる五色のきらびやかな紋様も,複雑なものから簡単なもの, さらには無地になった。
女性の服装にくらべ, 男性の服装の変化はもっと大きい。リー族の女性の多くは髪を頭のうしろに束ねて,骨製の簪をさし,刺繍つきの頭巾をかぶり,耳輪,首輪,腕輪などをつける。リー族の女性は,評判にたがわず,染色と機織りに精通している.彼女たちは木織や山麻の繊維を衣服の主な原料として利用できるだけでなく, さまざまな野生植物を染料として採集することも知っている.七,八歳のころから糸を紡いで機を織る彼女たちは,錯紗,配色,綜線,絞り染など伝統的な技法に独特な工夫をこらす.彼女たちは簡単で粗末な居座機を使って,木綿科の木綿に山麻をまじえた繊維と,買ってきた五色(青,黄,赤,白,黒)の刺繍糸で絢爛多彩な柄布を織りあげる.それは女性のスカートにもっともよくあらわれている.筒状スカートの丈は,居住地域の中心にいる本地リー族がもっとも短く,遠くなるに従い長くなる.彼女たちの者るものや装飾品は,色も図柄も種類も豊富で,山岳地帯の生活を色どり豊かにしている。
東方県の美孚リー地区では,丈がくるぶしまである長い筒状スカートをみかけることがある.これは四,五枚の布を接いでつくったもので,そのうちの一,二枚は拼染法を用いたものである。この種の新染法はもっとも古い染め方で, 古代では「染纈」,いまは「しぼり染め」と呼ばれている.やり方は,紡いだ粗紡糸を経糸に,その両端を木枠にきつく縛り,青か褐色の綿糸を経糸に結んできまざまな模様や図案をつくり,染色したあと結び目を解くとまだら模様が浮かびあがるので, さらに色つきの緯糸を織りこむ。いまでも一部の地方のリー族女性は, この伝統的な染め方で布を織っている。出所:中国民族服飾1981
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