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十一面観音立像龕 2009年2月1日更新
【和:じゅういちめんかんのんりゅうぞうがん】 |
【中:Shi yi mian guan yin li xiang kan】 |
隋・唐・五代|彫刻・書画|石器・ガラス|>十一面観音立像龕 |
重要文化財
陝西省西安市宝慶寺伝来
石灰岩、浮彫
高113.8、幅29.8
唐 八世紀初
東京・東京国立博物館
則天武后(在位六九〇~七〇五年)が八世紀初め頃に建立した、光宅寺七宝台に安置されていたと考えられる群像中の一基である。
光宅寺は、大明宮南方の光宅坊の西北に位置し、高宗(在位六四九~六八三年)の儀鳳二年(六七七)の創建と伝えられる。則天武后の造営になる七宝台がどのようなものであったのか、一切明らかでないが、そこには、本像のような単独像や釈迦・阿弥陀・弥勒を中心とする三尊像など、三〇基以上にのぼる
龕形式の仏像が祀られていたと推測される。それらは、後に長安城内の宝慶寺(花塔寺)に移安されて伝来したため、現存作例は宝慶寺石仏群と通称され、唐時代(六一八~九〇七年)盛期の正統的な造像様式を示す彫刻群として、きわめて重要視されている。
本品は、直方体状の石灰岩の一材の前面に、十一面観音が浮彫される。右肘を曲げて蓮華を持ち、左手は垂下して水瓶をとり、楕円形の頭光を負って、蓮華座に直立する。頭上左右には、飛天の姿も見える。ふくよかで慈悲深げな表情をたたえた顔貌や、のびやかで適度な張りを持つ肢体、さらに、微妙な質感を示す衣といった各部の表現には、当時の卓越した造形力をうかがうことができる。十一面観音は、唐時代を通じて信仰を集めたようで、石や金銅で制作された同時代の作例が少なからず知られている。出所:唐の女帝・則天武后とその時代展1998
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