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化度寺碑(翁方綱本) 2009年3月9日更新
欧陽詢筆
一帖
紙本墨拓
縦38.6 横18.5
唐時代・貞観五年(六三一)
京都・大谷大学
三階教の高僧、邕禅師を葬った舎利塔の銘文で、正しくは「化度寺故僧禅師舎利塔銘」という。邕禅師は俗姓を郭氏といい、太原(山西省)介休の人。三階教の開祖、信行禅師と共に修行を積み、信行禅師亡き後は、三階教の率統者として活躍、貞観五年(六三一)十一月六日、化度寺に八十九歳で示寂した。塔は邕禅師の遺命によって、終南山の鴟鳴阜の信行禅師霊塔の左に建立された。ときに太宗は深く哀悼の意をあらわし、帛を贈って追福したという。当時、名文家として知られた李百薬が撰文し、欧陽詢(五五七―六四一)が書丹した。欧陽詢七十五歳の書で、翌年の九成宮醴泉銘とともに、欧陽詢の代表作として著名である。
仏教の一種である三階教は、隋の開皇二十年(六〇〇)に異端として禁止され、唐代に入ってもたびたび迫害を受けたため、この石塔も早くから原石が失われ、拓本のみが伝えられる。唐時代の原石拓本には敦煌本が名高く、同系の拓本に王孟揚本がある。宋時代の翻刻本には、顧氏玉泓館本などが知られるが、この拓本も翁方網(一七三三―一八一八)の旧蔵になる翁氏蘇斎本として、顧氏玉泓館本とともに広く知られる作。敦煌本は原石拓本とはいうものの、文字数も少なく、必ずしも精拓とはいいがたい古朴な拓調である。翁氏蘇斎本は翻刻ではあるが、随所に見られる鑑蔵印や識語から知られるように、歴代にわたる愛玩を経てきたもので、欧氏本来の筆法をうかがう上で参照すべき貴重な資料といえるものである。 出所:書の至宝-日本と中国2006
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