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蘭亭硯 2009年5月29日更新
永和九年(三五三)東晋の王羲之(三〇七―六五)が会稽山陰(現在の紹興市)の蘭亭に当時の文雅の士四十一人と催した曲水の宴で、詩を賦し、詩の出来ないものは罰盃を飲む。王羲之はこの時、鼠髪筆で蚕繭紙に詩集の序文を書いた。これが蘭亭叙の名筆で唐の太宗の溺愛の末、昭陵に葬られた。唐代の名手が臨摸したものが後世に伝えられ、石に刻され、宋代には異本八百種と言われるに至った。また、この雅会は文人の憧れの的であり、画人の好箇の画題でもあった。有名なものに宋の李公麟(号は竜眠。 一〇四九―一一〇六)の蘭亭図巻がある。これは明に入って刻石された拓本がその面影を伝えている。
この関亭山水図を硯面、周囲、周囲、裏面に刻したものを蘭亭硯という。楕円硯、長方硯があり、腰が高く、裏面は一~二センチの周縁を残し凹所を作っている。形式は一様でなく、凹所に蘭亭叙の文を刻したもの、浮鵞を刻したものの別があり、硯面も楼閣山水を表すもの、楼閣のないもの、蘭亭叙を側面に刻したもの、文の刻していないものなどの別がある。
端渓硯(山巌系、禄石系)に最も多く、洮河禄石の名品と言われるものに多い。澄泥硯にはまれで、歙州硯では過眼していない。
大(長さ三〇センチ前後)・中(長さニ二センチ前後)・小(長さー五センチ前後)の三種がある。ただ事に蘭亭叙の文のみ刻した硯もあり、これも蘭亭硯に入れるが、正しくは蘭亭叙硯と言うべきだろう。出所:『文房古玩事典』宇野雪村
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