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日本硯 2009年6月12日更新

日本硯

【和:にほんけん
【中:Ri ben yan
彫刻・書画|基本用語|>日本硯

日本に漢字が伝来したのがいつだったかは将来の研究課題であろう。中国大陸からなのか、朝鮮経由なのかも決定できない。現在資料からたどる限りでは後漢朝の光武帝(ニ五―五七)の時のものとされる「漢委奴国王」の金印が最も古い。福岡県志賀島で江戸時代に出土したこの金印は、この文字を解し得たか否かは別として日本への漢字伝来の最も古い証になる。中国の『漢書』『魂書』『晋書』などによって北九州、大和朝廷との間に三―四世紀にかけて交流があったことはよく知られている。
記紀の記録から朝鮮との交流が大和朝廷との間にあったことはわかるが、紀元一世紀の初期までは遡らない。 文字の伝来と文字習得とは別なのだが、中国大陸、朝鮮半島からの渡来氏は上着民を征服し、或いは融和して小さな部落国家から連合国家へと発展していったのだろう。「魏志倭人伝とには百余国などの記述がある。
文字修得とともに、既に大陸中国ではできていた筆墨硯紙、その製法も伝えられたと思われる。今のところ、筆、墨、紙の最古資料は正倉院に成る天平時代のものが中心で、少し遡った聖徳太子書写の「法華義疏」が上限である。
漢字使用のものとしては江田船山古墳出土大刀、隅田八幡宮人物画像鏡などの全文があるが、この時代決定は難しい。 硯についても現存資料は正倉院のものであり、それ以前については出土硯をたどるしかない。今までの発掘例では七世紀が上限である。文化の中心地であった大和を中心とした地域から出土していて、新羅・高麗の舶載品と思われるものである。墳墓は貴族のものであるから当然かもしれない。しかし、それは新羅・高麗が六朝・隋・唐の影響下にあったことを示している。陶磁多脚連座円台硯である。
埴部、土師部などにかわって陶部が飛鳥、白鳳、天平時代に活躍し、陶硯を作製したと思われる。天武天皇二年(六七四)に川原寺で一切経書写を行った記録がある。多くの硯を必要としただろう。その証となる硯は確認できないが、陶部の作った陶硯と思われる。出土硯の石硯例は十一世紀頃までさがるからである。七、八世紀頃の貴族は和製の陶硯など軽視して副葬しなかったのだろう。出土の期待があるとすると陶部窯跡の発掘にまつべきだろう。
中国唐代になって円台硯から箕形硯に移行する形が見られる。円台硯は貴族墓、地方一家族墓からは箕形硯といえるかもしれない。天平、平安時代にかけて中国文化が半島経由文化を駆逐する。硯も箕形硯、斧形硯、風字硯といった変遷をたどっていく。石硯の優秀さを見聞した留学者達によって硯石も捜されたであう。 陶硯で日本独自の形式を発展させたものに鳥形硯・宝珠視がある。今までのところ中国に出土例がない。隔壁硯・二面硯なども、珍しい例である。風字形からの発展で俗に「猿面硯」といわれる硯(漆器製)も日本独自のものであろう。
石硯に注目するようになったのは江戸時代からといえよう。 一応名の通ったものとしては、江川高島石、長川赤間石、仙台玄昌石がある。最近では甲州雨畑石が有名になった。井上硯山氏が開発した蒼龍硯という石材は四国の南端に産するらしいが、中国の歙州硯に似て一見判別が難しい。硯材もよく、日本産の最良の材といえる。
日本の石硯には鑑賞に堪えるような古硯は非常に少ない。愛硯家のほとんどの人達は避けて通っている。
伝承硯・出土硯については別であるが、中国硯に比しては遜色があり、愛着が湧かない。しかし、郷土の産石の水成岩を拾って彫琢して愛玩硯にするということは文人の嗜みとしてもうるわしい。志ある人は郷土の良石を拾って彫琢し、愛玩されることをお奨めする。出所:『文房古玩事典』宇野雪村
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