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程君房 2009年6月30日更新

程君房
【和:ていくんぼう
【中:Chen jun fang
歴史人物|彫刻・書画|>程君房

嘉靖・隆慶頃の墨匠。程君房は名を大約、字を幼博、または雅友とも言い、君一房も字であるが、墨業はこの方で通ってしまった。号に篠野、独醒客、玄々子などがあり、滋蘭堂の斎号もある。古稀から逆算すると嘉靖二十年(一五四一)に安徽省休寧に生れたことになる。二十四歳頃、北京に遊学して大学に進んだ。家業が製墨業だったのか、郷土の墨業に刺激されたのか、在学中から古墨蒐集をしている。程が北京に在留した年月は明らかでないが三十一歳頃鴻臚の官についた。しばらくして辞去して郷里に帰って製墨に従事したのか、官途のまま帰休して家業を督したのかも明かでない。方于魯の困窮を救って墨匠として使ったのはこの頃(一五七一)であろう。数年を経て、方于魯は程の第二夫人と恋愛関係に陥り、確執対立することになる。この頃、彼は五十歳を過ぎて典客の官にあった(中田勇次郎氏『程氏墨苑」解説)という。この説に従うと官にありながら帰休して製墨を督励していたことになる。万暦二十二年(五十四歳)頃、殺人事件に連座して投獄され、七年の後赦されて出獄する。(中田氏説)獄中で憤死したとする記述もあるが、中田氏説に賛成する。この投獄が方于魯の謀略であるとして方于魯を忘恩の徒と言い「中山狼伝」「中山狼図」などを『程氏墨苑』に発表することとなる。出獄は六十歳頃と思われる。万暦三十三年(一六〇五 六十五歳)マテオ・リッチからキリスト教の版画を四種もらい、墨に作ったのであろう。『程氏墨苑』に収録している。七十歳(一六一〇)の古稀までは生きていたようである。(中田氏説)
彼の墨業は「程氏墨苑』に図譜が残されていて五一九種を教えるが、これは彼の自信作のみで他に多くの雑墨も作ったと思われる。詩文にも秀れ、著に『程幼博集』がある。没後、子の士芳が程君房を襲名する(襲名はもっと早かったかもしれない)。
程、方は明墨の代表とされて歳久しい。款名の十中九・九までは後世の倣造と考えてよい。『程氏墨苑』も稀覯本である。出所:『文房古玩事典』宇野雪村
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