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筆管 2009年7月6日更新
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筆の本質は鋒毫にあるが、筆管の大さ、重さも揮酒に関係してくる。それによって執筆法が変るからである。使用する人の好み、執筆法によって筆管も決められると言った方が正しい。通常では鋒の太さによって筆管の太さが変るが、鋒毫が太くなると管頭を大きくし、手で持つ部分の適当な太さの管軸を継ぐという方法になる。このため象牙、水牛角などの接続部を細くできるもので管頭を作るようになり、それが管軸全体に及ぶようにもなる。管尾も空洞のままでは割れやすいので埋めたり、別の尾部をつけたりする。管尾の重いのは揮毫に不便なので尾部は小さい。
人間の趣味嗜好は実用主義のみに満足しない。そのことから筆管に装飾が始まる。出土筆に見るように戦国時代は本軸だったがいつ頃からか竹管を使うようになり、現代に続く。二千何百年かの長い間、管軸の主流となったのは竹管であった。管に装飾をした例もかなり古い。
東漢の蔡邕(一三四―一九ニ)の『筆賦』に「文竹を削って管となす」とある。文竹は竹に文様のあるもので斑竹のことである。斑竹は今でも使われている。生育中に苔状のものが付着して、それを払い落すと斑点が現れるという。斑の色によって紅斑竹とか黒斑竹とかいう。
『西京雑記』に「漢製天子筆。以錯宝為付毛」とあり、傅玄の『筆賦』に「必ず象歯の管とす」とあるように漢代既に天子の筆には管に宝石をはめこんだり、象牙を使ったことがわかる。
降って梁の簡文帝(五五一廃)の時、金や銀で離飾した筆、斑竹の筆を使ったとある。(文房四譜)唐代の欧陽通は象牙、犀角の管の筆を使用した。正倉院蔵筆(新羅製、日本製を含むかもしれないことは既述した)の管を見ると、
仮斑竹(斑竹の文様を描いた管)
竹管沈香貼(竹管に沈香を貼ったもの)
牙頭 黄金装 梅羅竹管(梅羅は斑竹の文様の形容)
牙頭 沈香斑竹樺纏管(樺の皮を巻いた管)
牙頭 銀装 斑竹管
牙頭 斑竹管
牙頭 銀装 斑竹管
紫檀頭 斑竹管
牙頭 豹文竹管(斑竹の文様が豹文に似ている)
斑竹管 六枝
仮斑竹管 三枝
篠竹配 一枝
とあって圧倒的に斑竹管であり、象牙頭が多い。ここの頭は管尾を指すものである。五代の南唐の李後主は玉の筆管を使用したことが『研北雑志』に見える。
宋代には蘇東坡、黄庭堅その他名筆匠の製筆を称揚してはいるが、筆管についての記述がない。鋒毫の主体性・を求める文人精神の本道が宋から元を貫いていたと言えるだろう。
筆管が工芸技術の発展によって素晴らしい工芸品の中に入るのは明代後期からである。文房清玩の風尚の高潮と共に巧緻な装飾筆管が生れた。これらは文人の書斎のほかの文房用品とともに清玩され、 一枝の筆としてよりは全体の調和の中の一点として存在させられるという文人の選択が加わったことにもなる。
文房清玩の対象となっている筆は毫よりはこうした工芸品としての筆管に主体があるといえる。明代あたりの筆となると毫をほとんど失っている。それだけ、 硯、墨、紙に比べて実用性がなく(古墨も使えば磨消するし、古紙も書写すれば作品としては残るが使用性はなくなるので硯の比ではないが、いつでも使えるという可能性をもっている)三者より清玩度が高くない。鋒毫は筆匠に依頼して新しく作ってもらうことが可能なのだが、こうした装飾管の筆を愛用している人を知らない。
出所:『文房古玩事典』宇野雪村
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