考古用語辞典 A-Words

時代別順

旧石器時代
新石器時代
神話時代
殷・周時代
春秋戦国
秦・漢・三国
晋・南北朝
隋・唐・五代
宋・遼・金・元
明・清

分野別順

基本用語
青銅器
陶磁器
金銀・玉器
石器・ガラス
彫刻・書画
絹・衣類
建造物・遺跡・墓
歴史名城
歴史人物
研究機関
研究者
面白テーマ

釈迦牟尼仏陀 2009年9月22日更新

釈迦牟尼仏陀

【和:
【中:
面白テーマ|彫刻・書画|>釈迦牟尼仏陀

チベット・中国様式 17世紀後期 青銅鍍金;彫金、金泥、彩色、遺骨封入
高41cm
エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク
ここに示す釈迦牟尼仏陀は、最もよく知られ広く普及した図像、すなわち足を組んで結跏趺坐(蓮華坐または金剛坐)し、右手を触地印とし、左手は黙想にふけるかたちである禅定印とする。仏陀の体の特徴(相)のひとつである、輪のマーク(宝輪)が、掌と足の裏に刻まれている。
 この彫像は、中国の清代(1644-1912)初期のチベット・中国様式彫刻のグループに属するものである。本像には、清様式の多くの要素が含まれている。例えば、衣の縁と、田相部のことに装飾的な花のデザインや、衣の縁の特徴的な゛三角形の″デザイン、そして仏陀の胸部にかかる布の典型的な襞の形などである。
 清に起源があることが疑いないとはいえ、この彫刻は、清様式の発達のなかでも初期段階の様相を示している。18世紀の清のブロンズ像が通常そうであるように、蓮弁が仏陀の台座の周囲を取り巻き、彫刻の背後にまで回っている。しかも、蓮弁の数が、明のブロンズ像では大概いつも一定した数であるのに対して、本像では変則的な数(21枚)である。  仏陀の顔貌表現は、清のブロンズ像とすると、非常に珍しいものである。清におけるラマ教徒のイメージからくる一様に丸々とした顔というより、角張っていて、中央アジア(おそらくチベット)民族特有のものを思い起こさせる。おそらく本像は、中国で、こうした顔に表現することを選んだチベット人の名工により作られたのであろう。あるいは、特にチベット人のために像を作ることを念頭において制作されたということもあり得る。  どちらにせよ、この彫刻は、チベット人の手にあったものである。仏陀の膝の下の台座の上面に、チベット語が2語、右膝の方にばdru″(?)、左膝の方にばtshes brgyad″と刻まれている。゛dru″とは、゛あいまいな″という意味である。おそらくこれは、゛6″という意味のdrugか、゛そばに″あるいば近くに″という意味のdrungか、あるいば従者″の意味のdrung'khorの、誤りか省略であろう。後者の二句の変化形は、゛8日目″という意味のtshesbrgyadとも関係があるだろう。チベット暦の太陰月8日目とは、三日あるいわゆる仏陀の日のうちの一日、すなわち薬師仏(バイシャジュヤグル)の日なのである。この釈迦牟尼仏陀の像が、チベット人によりこの祝日と関係のある儀式に用いられていたということは、十分あり得ることであろう。
 エルミタージュ美術館は、世界有数の大規模なチベット美術のコレクションを所蔵している。 5000点以上のタンカ、金銅仏、法具、木版、そして染織品が含まれている。このコレクションの基礎となっているのは、当時ロシアの最も卓越した東洋学者のひとりであった、ウーフトムスキー大公(1861-1921)によって集められたものである。ウーフトムスキー大公はサンクトペテルブルク大学を卒業した後、アジアの文化、特に中央アジアのそれに強い興味を抱いた。彼はロシア北東のカルムークとブリヤートヘの数回の旅の後、1880年代の半ばから収集を始めた。
年月を重ねる間に、それらの地域をはじめ、中国やモンゴルヘ何度も旅を重ね、そこでラマ僧や、高貴な家柄の人々、そして普通の人々の中にも、多くの友人をつくったのであった。ウーフトムスキーは、ロシアの有名な貴族であり、長年にわたってロシアの主要な官報「ザ・サンクトペテルブルク・レコード」の発行人であり編集長でもあって、首都の有力者であった。彼はその地位を、特に帝国内の民族問題に関する自らの進歩的な考えを推進するために利用したのである。彼はロシアの小さな国々がより対等な立場を築くことを奨励していたので、ロシアの仏教徒の保護者として名声を得ていた。このため、美術商やオークションといった型にはまった取得方法より、仏教美術を直接人々から集めることのできる、ユニークな機会を持っていたのである。
 1902年、ウーフトムスキーはコレクションを、サンクトペテルブルクのロシア美術館の民族学部門に寄贈し、その後もそれに加え続けた。 1933年、ウーフトムスキー・コレクションは、二つの部分に分けられた。大部分はエルミタージュ美術館の東洋部に、そのほかは宗教史博物館(サンクトペテルブルク)にである。数年後、エルミタージュ美術館のコレクションは、P.コズロフの中央アジアヘの多度の旅行での収集品によって、さらに拡大したのである。出所:天空の秘宝チベット密教美術展 2009.09.19更新
関連用語:

Copyright 2006 abc0120 All rights reserved.