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銅色山浄土パドマサンバヴァ 2009年10月5日更新

銅色山浄土パドマサンバヴァ

【和:
【中:
面白テーマ|彫刻・書画|>銅色山浄土パドマサンバヴァ

チベット中史部
16世紀後期-17世紀前期
綿布着色
72.4×58.4cm
ツインマーマン・ファミリー・コレクション
この特異な繊細で細かい絵画は、パドマサンバヴァがインドの南西の大陸にあるという銅色山の浄土にいる姿をあらわしたものである。彼は、世の終わりまでこの地を治め、空の魔物とジャングルの羅刹の有害な力から南の大陸に生きる物を保護していると言われている。その楽園は、チャマラ(ヤクの尾)島にあり、二つのうちのひとつはインドの側にあるといい、羅刹の国(rakshasa)として知られている。大陸の中央には大海があり、そこに山があり頂上に宮殿がある。そこではパドマサンバヴァがさまざまな姿で、経典を教え、タントラを解き明かし、灌頂を行い、生きる物を向上させ、解脱の法を説明する。
 宮殿は普通3層であるがこの絵では通常と異なり4層である。3層の宮殿は、仏の三身の住処といい、第1層は応身を、第2層は報身を、第3層は法身をそれぞれ象徴する。この作品では、三身を象徴するのは、パドマサンバヴァのいる第1層より上の3層である。パドマサンバヴァは、第1層に妃とともに座り、彼自身による三身の結合を示していると思われる。宮殿は壁で囲われ四天王が門を固めているが3体しか見られない。東方持国天は琵琶を持ち中央に位置し、南方増長天は火焔の剣を持って左の門にいる。北方多聞天(毘沙門天)は、右方で宝幢とマングースを持つ。城壁の内側では、10体のダーキニーが天上の音楽を奏で踊っている。建物の第1層では、パドマサンバヴァが、その妃イェシェー・ツォギャルと結合した姿であらわされる。パドマサンバヴァの八変化のひとつ、ツォキェ・ドルジェ(サロールハ・ヴァジュラ)は、男尊が青色で女尊は白色の父母仏の守護尊である。しかし、天上の宮殿でパドマサンバヴァが合体像であらわされるのは、特異な例である。彼は金剛包丁(湾曲した刃がついており、柄の部分が金剛杵になっている)を右手に持ち、左手は、甘露(不死の霊薬)の瓶をのせた髑髏杯を持つ。妃は経本がのった赤蓮華を右手に持ち、左手には花瓶をのせた髑髏杯を持つ。その左右には、さまざまな守護尊がそれぞれの祠堂の中にいる。主尊の右から、三面二臂の有翼のヘールカ父母仏、三面の忿怒形のダーキニー、一面二臂のチャクラサンヴァラと赤色のヴァジュラヴァーラーヒーの父母仏、その左には赤い忿怒形の馬頭(ハヤグリーヴァ)父母仏(?)と、舞踏する赤色のダーキニーと二臂の赤い忿怒形の父母仏があらわされる。その下の中庭には四臂の忿怒尊の父母仏があり、おそらく大黒天(マハーカーラ)の姿と思われる。宮殿の第2層には脇侍として座る女尊を伴う観音が、その妃との合体像としてあらわされ、応身を象徴している。第3層には、密教像の阿弥陀父母仏があり、報身をあらわす。最上層には、縁覚仏を脇侍とする、如来形の阿弥陀仏があり、法身をあらわす。植物の花と葉が宮殿の周りを飾っている。宮殿は山の上にあり、小さな丘や岸壁が水の上にあり、4体のダーキニーが赤と白の蓮台に乗り、偉大なるグル・リンポチェ、パドマサンバヴァの住処を讃嘆する。
 重要な尊像のいる祠堂の列が宮殿の上方両端にある。全部で24の祠堂があり左右にそれぞれ12ある。画面下端には8の祠堂があり、パドマサンバヴァがさまざまな姿に転じて羅刹を調伏した8の方角に位置する。島の中央の門にある十一面の護法尊はおそらく羅睺sの姿であろう。その上にはパドマサンバヴァが坐している建物がある。背景の中に散らされているものでは、馬や2体の象といった吉祥物がある。アヒルや巻き貝の貝殻や牡牛や首の長いコウノトリが、優美で繊細で簡素な背景の表現に楽しいアクセントをつけている。基本的な背景色の暗青色は、たくさんの建築と像の着衣にあるバラ色と調和している。とりわけ金線による繊細で優雅な衣のデザインは、強い様式的特徴であり、特に16世紀から17世紀にかけてのムガール人やラジュプト人画派(ブンディのものなど)にあらわれるインド絵画との明らかな関係がある。背景の描き方は16世紀末の絵画に関連づけられ、この作品を編年する手掛かりとなる。
 この珍しい絵画は、宮殿の下から3層に父母仏の尊格を描くという特徴のある画題の早い作例とみられる。同じ画題の表現で後のものでは、ハンブルクのエッセン・コレクションにある。山を強調せず祠堂を列挙するという画面構成の型は、一地域で16世紀末から発展して特殊な形式として続いたものであろう。チンゴ・リンポチェによれば、このタイプは、死に際して転生を求める信者に観想させる偉大なる銅色山の浄土の姿をあらわしているのではないかという。出所:天空の秘宝チベット密教美術展
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