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ラマ(僧) 2009年10月21日更新
中央アジア、ハラホト
1227年以前
綿布着色
38×27cm
エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク
祖師として描かれた僧形像で、月輪形座具の椅子の上に座し、正面には交互に色を変えた蓮弁がある。絨毯が台座からたれており、中央アジアの特色を示す。椅子の背もたれは、金色の尾をもつ暗青色の山羊のような姿のレオグリフ(シャールドゥーラ)が支えている。背もたれの上に黄色い鷲鳥が上にのっている。ラマの右手は安慰印をとり、右手は掌を上に向けて膝上において定印をとる。一番内側の衣は黄色で、その外側の衣は、薄紫がかった茶色で一番外側の衣は橙色である。
E.Y.キチャノフ教授の翻訳によるタングートの文献から、タングートの僧侶には黄・黒・赤・青紫の衣が許されていたことがわかる。色の違いの意味について説明はたまにしかなく、特定の部派での特徴であるとか、部派の中での僧侶の階層をあらわすといったものである。西夏には、タングート、チベット、タングート・中国混合の、3種の僧伽個(仏教徒のコミュニティ)があった(タングートとチベットの混合した僧伽があったかどうかはまだわかっていない)。文献としては一般には、タングートの研究が知られているが、さまざまな僧伽の間の対立については述べたものがない。西夏の人々は、赤や黄の衣は着なかった。例外として僧侶は着ていたが、外側の衣についてはそうではなかった。僧は一番上の衣には黄色の衣を着てはならなかった。座主は、赤い衣を着て、黄色い衣を着る者は、赤や青紫の衣よりも位の低い者であった。赤や青紫の衣を着た者は、破門された。残念ながらこのような話は、タンカに描かれている僧侶の描写とは、ほとんど一致しない。下方には、豪華な衣に冠を付けた供養者が描かれている。左側が男性で右側が女性である。オルデンブルクは彼らはウイグル人としているが、タングート人であろう。高く髷を結い、金色の網をかぶせた女性の髪型が、ハラホトのタングート語の銘文のある肖像と類似している。出所:天空の秘宝チベット密教美術展 2009.09.19更新
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