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ツォンカパ 2009年10月23日更新

ツォンカパ

【和:
【中:
面白テーマ|彫刻・書画|>ツォンカパ

内モンゴル、チャハル
1700年頃
真鍮鍍金;彩色
高127cm
ストックホルム国立民族学博物館
ツォンカパ(1357-1419)は、チベットの最も偉大なラマのひとりである。彼は、釈迦の教えを完全に理解し、精力的に教えの実践を刷新した者として崇められていた。彼はとりわけ龍樹(ナーガルジュナ)と月称(チャンドラキールティ)の遺した教理に影響をうけた。彼は、中観帰謬論証派と、無上瑜伽タントラの瞑想法と芸術の伝統の両方の支持を目標とした。ツォンカパはまた、ゲルク派の開祖と考えられている。しかし、ツォンカパ自身は、11世紀中期に、アティーシャとドムトゥンパによって創始されたカダム派の改革者にすぎないと考えていた。ツォンカパの遠大な活動に続いて、彼の弟子たち、とりわけ初期のダライラマたちは、彼の教えを広くひろめた。ゲルク派は繁栄し、ダライラマ5世の時代には、チベット密教の主要宗派となり、他の宗派の発展にも刺激を与えた。ツォンカパは国民的英雄で、文殊菩薩の生まれ変わりとして崇められている。彼のカリスマ的な活動は、近代の比類なきチベットの聖なる文化をつくりあげた宗教改革の中心的な原動力となった。 このモニュメンタルなツォンカパ像は、北東内モンゴルのチャハルから、スウェーデンの探検家、スヴェン・ヘディンによって今世紀初頭に請来された。
モンゴル人は、13世紀のチベットの歴史において重要な存在であった。16世紀末期には、モンゴル人はチベット仏教の主要な信者となっていた。これは、1578年のアルタン汗のチベット仏教改宗によるところが大きい。彼が帰依したラマはソナム・ギャツォ(1543-1589)で、汗は、ソナム・ギャツォにダライラマ(「大海の主」の意)の称号を贈った。ダライラマの称号は、ソナム・ギャツォに初めて贈られた称号で、彼は、ダライラマ3世に数えられる(初代と2代は、彼の前生者にあたり、ダライラマの称号は、死後に与えられた)。実際、この彫像が本来所在したチャハルは、アルタン汗が、ダライラマ3世と1578年に初めて会見した場所である。それ以来、モンゴルは、強くチベット文化と美術の伝統の影響を受けるようになった。チベット、モンゴル、満州、中国という4ケ所の互いに近い地域では、17世紀以降、おそらくアジアの仏教美術史における最も活発な発展があった。相互の地域の関係は大変密接で、この時期の仏教美術には、様式的な地域差もあったが、ほぼひとつに統一された伝統があったと見なすことができる。ちょうど、ダライラマ5世は、前述の地域のうちの中国以外の3地域の人々にとって、最高の精神的指導者となっており、チベット仏教は、おもに清時代の仏教美術の伝続から影響をうけていた。この像は、内モンゴルからもたらされたものだが、チベットの国際的な美術の伝統にもとづいている。中国美術の影響や中国人の手による作例もみられる。それらは複雑に混ざり合っており、それはこの時代の美術についてのより徹底的な研究なしには完全に解明できない。
 この大型のモニュメンタルな彫像は、おそらく大寺院の仏殿の本尊だったのであろう。ツォンカパは一般的なラマの衣をまとい、インドの師が被る黄色い帽子をつける。この帽子は彼の特徴であり、それ以後、ゲルク派で、ガンデン寺座主とダライラマは帽子を被るようになった。ツォンカパは、ここでは印相や持物もその典型的な表現をとっている。説法印を結び両手に蓮の茎を親指と人差し指でつまむ。蓮の茎は像の背面近くでのびており、緑と金色の葉が交互に付く。般若経の経巻を左手に智慧の剣を右手にそれぞれ持つ(現在欠失)。この二つは、ツォンカパが文殊の生まれ変わりであることを示す標識である。  この彫像は、知られている大型のツォンカパ像としてはもっとも良いもののひとつである。優れた技巧と、肖像としての威厳と、印象的で自然な人体表現をあわせもつ。出所:天空の秘宝チベット密教美術展 2009.09.19更新
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