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西安半被博物館 2010年4月2日更新
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半坡博物館は,西安市の東郊,滻河の東岸にある半坡村の北に位置し,半坡遺跡を基礎にして建てられている。 1958年一般公開され,1961年に国務院の全国重点文物保護単位に指定された。現在2つの文物展示室と,1つの遺跡保護覆屋と1つの陶窯跡展示室とがある。
半坡遺跡は,黄河流域における典型的な母系氏族社会の村落の遺跡である。今から約6,000年あまり前のもので,現存面積は約50,000平方メートルで,居住区,製陶区,墓葬区に分かれている。中国科学院考古研究所は,1953年の最初の発見から1957年までのあいだに5回にわたる学術発掘を行なった。発掘面積は10,000平方メートルに達し,物質文化を研究するための数多くの資料を得た。
半坡人が使用した生産道具は主に石,骨,木を材料として作ったもので,石斧,鑿,片刃石斧,刀などと骨製の叉,釣針,針などがある。
長い間の生産と生活の実践の中から,たえず経験を積み重ね,事物の法則性を逐次認識,把握し,やがて蒸気を利用した陶甑や,孔をあけた斧を発明したり,先に逆刺をもった釣針や叉を創造した。又,重心の原理を応用した底の尖った瓶を創造し,計算や数などの科学もわかってきた。
半坡人は農業生産を主とし,漁労,狩猟,採集,家畜の飼育などの生産活動も行なっていた。女性は農業生産の主力であり,その他に製陶,紡織なども担なっていた。男性は殆んどが漁労,狩猟に従事している。したがって社会的生産においては女性が主導的地位を占めていた。
この他に土器を焼成した横穴窯跡が発見されており,天位(燃焼室)と窯室(焼成室)とに分けられている。これは,わが国で現在のところ発見された陶窯遺跡のうちで最古のものの1つである。
遺跡保護覆屋には,原始時代の村人たちの居住遺跡の一部が保存されている。面積は約3,000平方メートル,家屋の様式は半地下式と地上木材建築の2種類である。平面形は円形と四角形の2種類で,おもな建築材料は,草,土と木材である。晩期の家屋は構造自体は同じだが,地面に木板を敷き,早期の低い暗い半地下式家屋に比べると進歩している。これは半坡の先人たちが実践の中から経験をつんだ結果である。又家屋の近くに物を貯蔵するあなぐらが数多く掘られている。これは半坡の共同倉庫であり,かつてここから腐った穀物(栗)が発見された。
埋葬坑の中には”2人"“4人"と同性の遺骸を合葬したものがある。共同墓地は村の北にあるが,幼なくして死亡した子供は殆んどが甕棺に入れられ,住居の近くに埋葬されている。半被遺跡の家屋,あなぐら,露天のかまど跡,そして男女の分葬と共同墓地などをみると氏族制度の痕跡の残りぐあいが同じでないことがわかる。この遺跡は半坡先人たちがまだ母系氏族社会段階であり,階級のない,搾取のない,集団労働,共同分配の原始共産主義の生活をおくっていたことを示している。半被遺跡は,わが国の貴重な文化遺産であり,わが国の原始社会の歴史研究に重要な科学的価値を有している。「参考資料」『中国唐俑の美』
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