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八年呂不韋青銅戈 2010年5月8日更新
【和:はちねんりょふいせいどうか】 |
【中:】 |
春秋戦国|青銅器|>八年呂不韋青銅戈 |
く秦王政8年に呂不韋が製造した青銅の戈〉
戦国秦
青銅製
全長26.1cm 援の長さ16.1cm 援の幅3cm 内の長さ10cm
1978年陝西省三原県廃品回収場
宝鶏青銅器博物館
この戈の内の部分には「八年、相邦呂不韋の造、詔吏の図、丞の(菖+戈)、工の奭」と記されており、背面に「詔吏](鋳造機関か?)属邦」(少数民族を管轄する役所)と記されている。この戈の8年は秦王政の8(前239)年であり、「図」「(菖+戈)]「奭」は人名である。なお、兵馬俑一号坑からも呂不韋3年の戈と3年、4年、5年、7年の戟が出土している。
「秦始皇帝をめぐる女性の謎」
咸陽宮の遺跡からは数多くの壁画の断片が出土している。そのなかに倡優(俳優)と題した女性像が―つあった。兵馬俑には一体の女性俑もないので、秦の女性像としては貴重なものだ。漢の陽陵を中心に宮中に仕える女官の俑のほか女性騎馬俑など数多くの女性俑が出土している。なぜ秦の女性俑がないのか。それはまだ出土していないということかもしれない。その出土のときまでこの女性像は貴重なものとなるであろう。ただ不思議であるのは、始皇帝をめぐる女性の姿が史書には記されていないことだ。二十数人の子供がいたのに、夫人の姿がまったく見あたらない。皇后などいたのかもわからない。母親の太后の存在が大きかった分、夫人の影は薄かった。出所:「大兵馬俑展」
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