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玉鑿 2010年11月27日更新
仰韶(ぎょうしょう)文化 新石器時代
紀元前5000年一前3000年
長さ19.5cm
中国文化で大切にされた玉とは軟玉のことで、その硬度はダイヤモンドを10とすると5-5.5、磨きあげると潤いのある艶(つや)やかな光沢を発する。この時代、玉は伐採や研磨の道具としても使われていた。
<玉>
儀式やシャーマニズムと結びついた神秘的な造形
金属の製錬が発明される以前、人類は主に石材を用いて各種の工具を製作していた。そして、石を打ち磨く経験の中で、しだいにある種の石材は磨くことによって美しい光沢を発することに気づき始め、それらの美しい石を用いて装飾品を作った。
環太平洋地域では、独特な「崇玉文化」が発展した。例えば、中央アメリカのオルメカ文化・マヤ文化、ニュージーランドののマオリ文化、東アジアの中国文化などである。これらの文化に属する人々は、美しい玉によって工具や装飾品を製作したほか、玉器を用いて神々や祖先を祀った。中でも中国の玉文化は最も歴史が長く、高度な発展を遂げた。中国には精美な玉彫が大量に残っているだけでなく、玉に関する数多くの文献が存在する。近世になってからも、どれほど西方文化の影響を受けようと、「崇玉」は中国文化の根源をなすものとなっている。
古代、中国の東北地区では、黄緑色の美しい光沢のある玉や、徴かに透明感のある滑らかな玉を産出した。そのため、この地方の人々は、光によって変化する神秘的な玉の美を作り上げた。円環の一部が切れたかたちの玉耳環は、紅山文化の晩期になると、胚胎を象徴する玉猪龍へと発展し、また歯のある獣面紋の玉飾りには、驚くほど大きな渦巻きの眼が表されており、あたかも深夜の森の中にいる梟が、静かに息を潜めてこちらを見つめているかのようである。長江下流の良渚文化の人々が使用した玉村は、透明度が低かった。そのため彼らは、精巧な彫刻技術を生み出すこととなった。玉琮の四面には神像が刻されており、神々を祀る際に使用された。新石器時代の晩期になると、すでに「天円地方」の宇宙観が形成されており、故宮に展示されている重さ約六キログラムの大円璧は天の神を祀るための礼器なのである。出所:「台北故宮博物院別冊太陽2007」
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