「戦国時代の鎌倉—もとの都に成してこそみめ—」鎌倉歴史文化交流館

「戦国時代の鎌倉—もとの都に成してこそみめ—」鎌倉歴史文化交流館

名称:「戦国時代の鎌倉—もとの都に成してこそみめ—」鎌倉歴史文化交流館
開催期間:2020年12月5日(土曜日)~2021年2月13日(土曜日)
開館時間:10:00~16:00(入館は15:30まで)
休館日:日曜・祝日
主催:鎌倉歴史文化交流館(鎌倉市教育委員会)
会場:鎌倉歴史文化交流館 別館・考古展示室
観覧料:一般300〔210〕円 小・中学生100〔70〕円 ※〔 〕内は20名以上団体料金
住所:〒248-0011神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-5-1
TEL:0467-73-8501
URL:鎌倉歴史文化交流館
 鎌倉は、源頼朝が幕府を開いて以降、一大都市として栄えます。その後室町幕府が開かれたのちも、東国を管轄する鎌倉府が置かれ、政治の中心地としての役割を果たしました。しかし、鎌倉府が滅亡すると鎌倉は都市としての役割を失い荒廃していきます。そこに現れたのが、伊勢宗瑞(北条早雲)です。宗瑞は、伊豆韮山城・小田原城を拠点に関東へ版図を伸ばし、永正9年(1512)に玉縄城を築きます。玉縄城は、北条氏の一族が代々城主となり、彼らは玉縄北条氏と呼ばれ鎌倉周辺を治めました。
 宗瑞の跡を継いだ後北条氏2代当主の北条氏綱は、鶴岡八幡宮の再建を行い、積極的に鎌倉の寺社を保護していきます。再建には、鎌倉にいた多くの職人たちが携わっており、彼らは後北条氏の庇護を受け、後々まで鎌倉を拠点に活動していくことになります。
 本展では、鎌倉府の滅亡以降荒廃した鎌倉において、後北条氏と鎌倉の人々が現代につながる鎌倉の基礎を築いていった様子を、玉縄城跡の出土品や古文書を通してお伝えします。

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